2011-01-21

The Phantom of the Opera

Her Majesty's Theatre
2011年1月20日(木)19:30

John Owen-Jones
Kety Treharne
Will Barrat

舞台は一期一会。同じキャストがそろうこと、同じキャストでも同じ演技が観られることは、まず、ない。ジョン・オーウェン・ジョーンズ(John Owen-Jones = JOJ)。その名前さえあれば、どんな舞台でも観たいと思える数少ないパフォーマーの一人。その彼が、なんとオペラ座の怪人に戻ってきたと聞いたのが昨年末。それから、喉を痛めた、とか、大雪で通勤不能、とか、バルジャンの特別コンサートに出演、とか色々あってちょこちょこ舞台を休演していたJOJを静観の構えで待っていたけれど、そろそろ待ちきれない! としびれを切らせたときに入ってきた「JOJが新型インフル感染」のニュース。だめだ、この人は無理やりにでも観なきゃだめな人なんだと悟り、インフル復活直後に観劇することを決意し、JOJのツイッターをチェックすること約1週間。水曜日に復活のつぶやきを見て、その翌日にボックス・オフィスに駆け込み、一枚だけ残っていたストールD席を、隣のキャスト表に彼の名前があることをしっかり確認してから割引価格で購入したのだった。

正直に言ってしまえば、作品自体にはさほどの思い入れはない。ただ、JOJのファントムが、私の思い描くファントムそのもの、なのだ。私がJOJを好きな理由、それはもちろん、彼の変幻自在、唯一無二の歌声というのがある。ただ、もともとはストレート・プレイ好きの私にとって何より重要な演技が、歌声にも勝らぬとも劣らぬ力を持っていること、これが大きい。

JOJのファントムは、傲慢さと脆さ、高い自尊心と劣等感といった、相反する性質を内包している。ぴーんと張り詰めた彼の心の糸が少しでも誰かに触れられれば、その糸はぷつりと切れて、すべてが崩壊してしまう、そんな危うさが、彼のファントムの核になっているように思う。彼は決して美男子、というわけではない。でもファントムを演じるときの彼の物腰、特に指先はとても優美で官能的。すっと滑らかに指が動く様は、まるでオーケストラを指揮するかのように、舞台を支配する。そして艶と張りのある歌声が、ファントムという人物を現実世界に生きるものとして、観客に説得力を持って迫り、劇場全体を圧倒してしまう。

新型インフルエンザから復帰して2日目だというこの日、実はJOJのファントムに圧倒される、ということは、なかった。病み上がりだということが大きかったのだと思う。硬軟を自由自在に操る歌声は健在で、柔らかい声が凛とした力を帯びてどこまでも伸びていく瞬間には、心臓がぎゅっと掴まれたような気持ちになった。けれども彼が時折、力を抜いているというわけではないのだろうけれど、100%の力を出さずに抑えていると分かる場面がいくつかあった。

私の頭の中には、かつてインターネット上で観た、JOJの前回のラスト・パフォーマンスがくっきりと残っていて、脳内でその姿と比較してしまう、というのもいけないのかもしれない。空気を切り裂くような絶叫、歌声に、感動を超えてただ圧倒されまくり、声帯が切れてしまうのではないか、と本気で心配までしてしまったあのパフォーマンス。無意識のうちに、それぞれのシーンを比較しているのかもしれない。そうだとしたら、やっかいだなあ、と思う。あの演技を超えることは、たとえJOJ本人であっても、難しいと思うから。でも、きっと彼ならやってくれるはず、そう信じて、またあの心臓をぎゅっと掴まれて呼吸ができなくなるようなひとときが訪れることを待ちながら、これからもJOJのファントムを追いかけていきたいと思う。
ちなみにこの日、クリスティーヌはダブルキャストのさらに代役、ケイティ・トレハーン(Katy Treharne)。歌は上手かったけれど、少々大げさな表現が気になった。「見て! 聞いて!」とばかりにあごを突き出して歌われると、どんなに歌が上手くても、少し興ざめしてしまう。

逆に演技があっさりすぎる、というより演技力のなさが目立ったのが、ラウル。この人、ウィル・バラット(Will Barratt)は、かつてレミゼラブルのアンサンブルで何度か観ていたパフォーマーだった。何度もウェスト・エンドで舞台を観ていると、そのうち、どの舞台を観ても知っている顔が混じるようになる。特にアンサンブルだったパフォーマーが大きな役を掴んだときには、他人事ながらうれしくなるのだけれど、彼の場合はなぜこの大役を射止められたのか、少し疑問を感じてしまうほどだった。そういえばレミゼのアンサンブルでも、細かい演技の得意なデービッド・サクストン(David Thaxton)の後釜ということもあって、印象が薄かったなような。バラットも、歌は悪くなかった。見た目も背が高くて、王子様系で、その点はまさにラウルなのだけれど、演技と呼べる演技が見えなかった。クリスティーヌとラウルが2人で歌うシーンは、演技が濃すぎるトレハーンと演技が薄すぎるバラットの間に何ともいえない不協和音が漂っていて、残念だった。

次は復調JOJと本役クリスティーヌに期待。

2011-01-17

Salad Days

Riverside Studios
2011年1月15日15:00

ロンドン西部ハマースミス駅から歩いて数分、カウンシル・フラットと思われる建物が立ち並ぶ地域にポツリとある、舞台や映画の複合施設、Riverside Studiosでの初観劇。むき出しの天井とシンプルなインテリアが印象的なカフェが併設されていて、お客さんの大部分は高齢者。のんびりと穏やかな空気が心地良くて、小劇場好きの血が騒ぐ。

今回の作品は「Salad Days(サラダ・デイズ)」。事前に知っていたのは、弾くと誰もが踊らずにはいられなくなるというピアノの話、ということだけ。カフェを通って劇場入り口に向かうと、大学卒業生の衣装を着た役者さんが「Congratulations!」といって卒業証書を渡してくれる。そして劇場に足を踏み入れると、観客席が中央の芝生を挟み込むように設置されていて、正面ではブラスバンドが演奏中。そして卒業生や学校関係者の衣装の役者さんたちが、誘導係をやっている。大学のグラウンドに設置された卒業式の会場が見事に再現されていて、なんだかこの光景を見ただけで、ほんわか幸せな気分になってしまった。ちなみにインターバル終了直前には、レストランに向かうカップル(次の舞台のシーン)が普通にカフェを歩いていた。こういう、舞台上と観客の境界線をファジーにする手法、イギリスでは本当に自然で素敵だと思う。

そして舞台の方はというと…。思った通り、最初から最後まで、ひたすらにハッピーな物語。大学卒業ほやほや、片や就職先を、片や結婚相手を決めなければならないティモシーとジェーンが、公園で出会った不思議な男性から期間限定で借り受けた移動式ピアノを弾くと、腰の曲がった男性から警官まで、誰もが踊り出してしまう。そのうわさを聞きつけた政府の役人が、風紀を守るためにピアノの持ち主を探し出そうとするが…最後はもちろん、大団円。一度聞いたら頭の中でリフレインしてしまう音楽、口のきけないホームレスからオールドミスまで、それぞれが表現力たっぷりに踊るチャーミングなダンス。これぞ古き良き時代のミュージカル、といった趣で、ただただ、心を素直にして思い切り楽しんだ。

後半、突如出てくる宇宙人は、ムジンクンそのままのコスチュームで個人的に大受け。特にハンサムな俳優さんだったのがツボ。彼らが乗る空飛ぶ円盤も、銀箔を貼りました~というのが丸わかりの超ベタな円盤で、これが外すギリギリのところでうまくまとまっていたのが凄い。よく演出家はこれを制作の時点でOKしたなと感心。

一つ残念だったのは、インターバル直後のエジプト風レストランでの女性歌手の場面がちょっと長すぎて、かつインパクトに欠けたこと。これは半分以上、カットして良かったのではないだろうか。
最後のシーン、登場人物皆が踊り、去った後で、一番初めに主人公の2人が卒業式の日に歌った曲がまた流れて、ピアノだけを舞台に残し、静かに、でも温かく終わったのが印象的だった。これからもこのピアノはまた、色々な人と出会い、ハッピーにしていくんだろう。そんな余韻を残すエンディング。

舞台終了後、カフェにいたら、ジャージ姿の役者さんたちが飲み物を買いに普通にウロウロしていた。役者と観客の間に垣根がない、こうした当たり前の空気が、やっぱり好きだな、と思う。ちなみにこの日は最前列に座っていた私、途中、観客を呼び込んでの大ダンス・シーンで、虫取り網を持ったおじいちゃんに捕獲される(笑)。舞台で踊ること数分。くるくるまわっただけだったのに、終わった瞬間にめまいがして、改めて歌い踊る役者さんへの敬意の念を強めたのだった。日本だったらこんなこと絶対しないのに、こちらだと断ってこの空気を壊したくない、と思ってしまうのが不思議だ。

2011-01-16

Ghost Stories

1月9日(土)17:00
Duke of York Theatre

新年観劇第1作目に選んだのが、この「Ghost Stories(ゴースト・ストーリーズ)」。日常的に劇場前を通っていて何となく気になっていたのと、観客にネタばれを厳しく禁じていて、「keep telling yourself its only a show」なんて言っちゃってるのが、昨年から妙に気になっていたのだ。

TKTSで15ポンド最前列という良席をゲットし、劇場に入ると…意味ありげな数字が書かれたぼろぼろの紙、怪奇事件が報じられている昔の新聞記事、壊れたピアノが。あちらこちらに埃が積もっていたり(もちろんわざと)、サイドの席がぐちゃぐちゃで立ち入り禁止になっていたりと、とにかく劇場中がうっそうとした雰囲気に満ちている。おまけに鼓動のような効果音がずっと鳴っていて、否が応にも恐怖心を煽る。

そして舞台がスタート。大学の教授らしき人が不可思議な事件についてリサーチした結果を観客の前で語り出す。警備中に意識不明の重体になっている娘さんの声が聞こえる警備員、うっかり人を轢いてしまった(はずの)無免許の青年、もうすぐ生まれてくる子供の部屋で不可思議な現象に出くわす男性…。3人の話を聞くに従い、教授自身の態度も少しずつおかしくなっていく。実は教授には、その昔、忘れようにも忘れられないとある出来事があったのだ、というのがあらすじ。

実はこの芝居、結論から言うと、とても残念な出来だった。上の3つのエピソードが本当にベタで、笑うに笑えないレベルだったのだけれど、これは最後のどんでん返しの複線に違いない、と信じて舞台を観ていた。観ていたのに…最後のオチがこれまたなんともベタだったのだ。実は教授自身は昔の出来事の罪悪感に苛まれ自殺未遂を起こし、精神病院にいた、3人の登場人物は実際には医者や病院の清掃員だった、なんて、日本の小劇場では10年以上も前から当たり前すぎる展開。前から思っていたけれど、イギリスのお芝居は、とても正統派なのが多くて、もちろん素晴らしい作品も多いけれど、奇をてらったもので成功! と思えるものが、あまりない。小劇場新作勝負ならば、日本、余裕で勝つんじゃないだろうか…。

結局この日、一番怖かったのは、始まる前の自分自身の妄想だった(それが劇場側の目的だったのか?)。ちなみに、一緒に観劇した友人は、教授の友人の亡霊に狙いうちされ、目の前に這ってこられたときに声を上げて驚いていた。きっと、あのとき、あの場所で、最も(というより唯一)怖がっていた人間だったに違いない(笑)。

Les Patineurs / Tales of Beatrix Potter (Royal Ballet)

2011年1月8日(土)19:00
Royal Opera House

去年のちょうど今ごろ、お気に入りのダンサー、スティーブン・マックレー(Steven Mcrae)のブルー・ボーイを観るためにチケットを買ったのに、悪天候のため、故郷のオーストラリアから戻ってこられないとかで代役に。今年こそは、と意気込んでいたら、何とこの直前に怪我をして数舞台を休演。またか…と思ったけれど、ああ、何て良い1年の始まり! 無事、マックレーは出演してくれた。

「Les Patineurs(レ・パティヌール)」と「Tales of Beatrix Potter(ピーターラビットと仲間たち)」のダブル・ビル。まだたった2回目だけど、これが始まるとロンドンにもクリスマスが来たと思える、冬にふんわりと温かい空気を届けてくれる、ちっちゃくて素敵な作品たち。特に少年少女たちがスケートに興じる、それだけを描いたLes Patineursは、おしゃまでチャーミングなスケーターたちを見ていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。

ブラウン・ボーイの中には蔵健太さんと平野亮一さんの姿が。いつもながら蔵さんの伸びやかな動きが目に付く。ブルー・ガールズは高田茜さんとサマンサ・レイン。茜さんのコミカルできびきびした踊りが小気味良い。オネーギンのオリガ役では常に目を見開いた演技が、ちょっと気になったけれど、この役柄と振り付けは彼女に合っていると思う。

そしてマックレー。この作品を実際に観る前から、この役は絶対、彼にぴったりだと分かっていた。一人、得意げに様々な技術を軽々と披露する、ちょっと生意気な男の子。まるで彼のためにつくられた役のようで、実際、水を得た魚のように楽しそうに、やんちゃに踊る。技が決まるたびに、ちょっと首をすくめるようにして笑うのがチャーミング。くるくると回ったり飛んだりしたかと思うと、またすっと裾に消えていく。すぐ後ろの席に座っていた女の子が、 「彼、とってもうまい!」と小さな声で歓声を上げていたのが、かわいらしかった。

ホワイト・カップルは、去年と同じ、サラ・ラム(Sarah Lamb)とルパート・ペネファーザー(Rupert Pennefather)。ラムはこういう典雅な役柄、踊りではまさに本領発揮。そしてぺネファーザー。淡泊な演技をする、本来ならば苦手なタイプのダンサーだけれど、上品でくせがないから、サポートに徹する王子様的な役柄のときには映える。

ダンサーが入れ替わり立ち代わり舞台上を滑っていると、そのうち空から雪が降ってくる。作品の終わりを知らせるこの雪が降り始めると、エンディングはすぐそこ。実はこの日、ジャンプで息を飲む、ということのなかったマックレーの踊りだったけれど、やはりラストが近づくにつれてのってきたのか、キレが増してくる。そしてラスト。舞台に一人、残されたマックレーのフェッテがあまりに速くて、あまりに安定していて、始めは驚き、そのうちに笑ってしまった。観客も大喜び。彼の回転技は、あまりのスピードに、いつも途中から可笑しくなってしまう。昔は一旦幕が下りてカーテンコールになっても回り続けている振り付けだったと聞くけれど、マックレーにこそその振り付けをやってもらいたかった気がする。彼の回転は、本当に夢のようで、一生懸命とか、必死、とかいう言葉とは無縁のところに存在している。こうした重力とか常識といった概念を超越した姿を見ると、誰に向ければいいのか分からない感謝の気持ちと、ほんの少しの嫉妬を感じてしまう。

ポターは68分 という上演時間がちょっと長いかな、とも思うけれど、もこもこの着ぐるみで世界のトップ・バレエ団のダンサーが真剣に踊るという、もうそれだけで脱帽。ただかわいい、というのではなく、ポターが描いたちょっとリアルな動物たちがそのまま舞台に出てくるのも、いかにもイギリスらしい。

一番初めに出てくる、ネズミたちのシーンで、一人、いやに動きが細かくて、ほかのネズミたちから浮き出てくるような存在感を放っていたダンサーがいて、誰かと思ってチェックしたら、リカルド・セルヴェラ(Ricardo Cervera)。顔の表情は全く見えないし、動きも制限されている。でもそれだからこそ、ダンサーの演技力が際立つことがある。個人的に一番好きなキャラクターであるリスのナトキンは、マックレーのナトキンをインターネットで何度も観ていただけに、ほかの誰がやっても物足りなく感じる。ジャンプや回転の美しさ、キレはもちろんのこと、つま先や指先のしなやかさや細かな演技は着ぐるみであっても彼が図抜けて優れていると思う。

最後は、皆で踊って、舞台正面で記念撮影をするかのように集まり、正面を向いて、終わる。絵本から抜け出た動物たちが、やがて本の中へと戻っていくかのように、ピタリと動きが止まる瞬間、夢の世界が終わって、でも幸せな気持ちはそのまま残っているような、余韻のある、とってもチャーミングなエンディングだった。