Soho Theatre
1月12日(木)19:30
思えば私は、昔から妙に人形劇が好きな子供だった。物心ついて初めて観たのは、小学生のころに観た、チェコからやって来たぎょろ目の人形たちのちょっと不気味な作品(今、チェックしたらイジー・トルンカのマリオネット劇、だったらしい)。それ以降、かわいらしいパペット、と言うよりは、大人な雰囲気の漂う人形劇を好んでよく観ていたように思う(ちなみにWar Horseももれなく好き。これは子供も楽しめるけれど、子供向けじゃないと声を大にして言いたい)。
で、「The Table」。ロンドン・インターナショナル・マイム・フェスティバルをチェックしていたら、いやにぶさいくなモアイ像チックな人形の画像が目に付いた。内容を見てみると、ちっちゃなモーゼがテーブルの上で自らの人生の最後の12時間を語る、とある。…わけが分からない。けれど昨年のエディンバラ・フリンジではファースト・プライズを取ったとあるし、きっと面白いに違いない。ということで、その日のうちにチケットをゲット。ちなみにその後、その日のチケットはすぐにソールド・アウトになったので、チケット運の良さはまだ継続中のよう。劇場ではドラマ・スクールの学生と先生が集団で押し寄せていたせいか、若者の街、渋谷についうっかり入り込んでしまったかのような、独特の熱気に溢れた中での観劇となった。
本作品は3つのパートに分かれていて、最初がモアイ像ことリトル・モーゼ君。簡易テーブルが置かれただけの超シンプルな舞台に、黒づくめの3人の男性が登場。彼らがモーゼ君を操るわけだが、うち一人は頭を操ると同時にモーゼ君のセリフも担当。「これはブンラク(文楽)形式なんだぜ!」と彼が何度も自慢げに言うように、3人は特に存在を消すわけでもなく、それどころかモーゼ君は3人のうち一人にからんだりする(手を操る男性は自分で自分に突っ込んでいるわけだ)。
構成はいたって単純。モーゼ君が自らの人生の最後の12時間を語ろうとするものの、観客をいじったり、パペットの持つ潜在能力を見せつけたり、突然の第三者が登場したりと色々邪魔が入る。要はメイン・テーマはモーゼの人生なんかじゃなく、モーゼ君のインプロビゼーション&スタンダップ・ショー。「パペットってこんなこともできちゃうんだぜ」と、吹きすさぶ嵐の中歩いたり、フランスでバゲットを買ったり、ランニング・マシーンで走るモーゼ君。マイムのネタとしては真新しくもないが、段ボールの頭にカーテンの布でできたメタボ腹、妙にひょろ長い手足のモーゼ君がやると、異常にキュートに見えてしまう。「テーブルの上が自分の人生のすべて」と言いながら、意気揚々とその人生の素晴らしさを語る一方、後半、突如テーブル上の自分の世界を浸食し出す女性に怒りつつも必死に語りかけ、触れて、一人きりのテーブル上での人生に孤独を感じるガラスのハートを垣間見せる。愛おしさを感じずにはいられないキャラなのだ。モーゼ君が「この舞台のことを後で他人に説明するのは難しいだろうな。芝居の間じゅう、テーブルの上で一体のパペットがしゃべってたとでも言うのかい?」ってしゃべってましたが、確かに難しい(笑)。
次のパートは、音楽に合わせて、3つの額縁の間を行き来する、浮遊するゴム製(?)のマスクと手のパフォーマンス。これは綺麗ではあったけれど、特筆すべき点はなし。最後のパートは、「紙芝居」。さきほどの3人の男性+女性1人の計4人が、黒服に身を包み、タバコをくわえながら、アタッシュケースに入った無数のイラストを次々と出しては、無声紙芝居を展開する。これもアイデア的には斬新ではないものの、上下左右の空間を上手く利用して物語の世界を広げていく手法や、パフォーマーの表情をも芝居の一部としてしまうお茶目ぶりが、なかなか魅力的だった。
総合的に見ると、やっぱりリトル・モーゼ君のキャラが際立っていた最初のパートが圧倒的に面白かった。ちなみに今回、すべてのパフォーマンスを担当したブラインド・サミット・シアター(Blind Summit Theatre)は、サイモン・マクバーニーの「春琴」でも人形操作を担当。オペラでも活躍する注目株らしい。モーゼ君はもちろん、彼らの洒脱なパフォーマンスが全体的に光っていた作品だった。
2012-01-22
2012-01-11
Richard Ⅱ
Donmar Warehouse
2012年1月4日(水)19:30
2010年の年明け、小劇場好きの心のオアシス、Donmar Warehouse。赤と黒で塗りつぶされたポスターが印象的で、ストーリーも出演者もろくろく知らずに観に行った「Red (レッド)」で、アメリカ人画家、マーク・ロスコの弟子、ケンを演じ、リスのようにつぶらな瞳が妙に印象的だった少年(後で知ったがこのとき、彼は既に20代後半。恐ろしき童顔)、エディ・レッドメイン(Eddie Redmayne)。同作品でウェスト・エンドからNYのブロードウェイへ進出、そしていまや映画界でも注目株になってしまった彼が、再びドンマーに戻ってきた。Redを演出した同劇場の芸術監督、マイケル・グランデージ(Michael Grandage)が芸術監督としては最後に手掛けた作品「Richard Ⅱ(リチャード2世)」。タイトルロールを演じるレッドメインを小さなハコで見たさに、多くのファンがチケット争奪戦に加わり、あっという間にソールド・アウト。特に彼のファンというわけではなかったし、リチャード2世というシェイクスピア作品にも思い入れのなかった(と言うより知らなかった)私は、当然のごとく出遅れたわけだが、年末に幻のチケットとも言われた「Jerusalem」をゲット、続いて「Noises Off」の最後の一枚(その日の)を手に入れた私は、「きっとエディも観ることができる」と妙な確信を持って、オンラインのサイトを日々チェックしていたところ、リターン・チケットをゲット。おまけにストール。演劇の神様、ありがとう。
開演20分前くらいに劇場に着くと、既に多くの人たちがバーでお酒を飲んでいる。この劇場は全体的にとってもこぶりなので、バーも小さく、飲まない人間の居場所がない。それでさっさと席につこうと思いきや、スタッフがまだ客席には入れないと言う。何でも15分前になるまで入れないということで、行き場を失った観客たちとともに所在なさげにウロウロしていたら、しばらくしてやっとオープン。入ってすぐに15分前設定に納得してしまった。ひんやりとした舞台上には、既にレッドメイン、もといリチャード2世が王座に着いて瞑想している。芝居が始まるまでの15分間、まんじりともせず、レッドメインは静かに静かに、王冠を頭に戴き、王笏を手に座している(確かにこれを30分続けることは不可能だ)。時代の年輪を刻んだ木の壁がシンプルながら印象的な、2階建ての舞台装置。ロウソクがいくつも灯されていて、冷たい空気とともに、その独特な匂いが、古い大聖堂にでも入り込んだかのような幻想を抱かせる。正直、芝居が始まる前からこの雰囲気に完全にのめり込んでしまった。
ごくごく簡単にストーリーをまとめると、神の化身である王の尊厳を何より尊ぶリチャード2世が、従兄弟のボリングブルックと貴族のトマス・モーブレーの諍いを裁定し、前者に6年間の追放を、後者に永久追放を命じる。ボリングブルックが不在中に、王の叔父にしてボリングブルックの父であるランカスター公の死去に伴い、リチャード2世がその財産を没収したことからボリングブルックが激怒。兵を率いてイングランドに帰国し、王に退位を迫る――といった感じで、筋だけ見れば、やはりさほど興味深い作品ではない。でも、とても面白かった。実はロンドンに来てからというもの、シェイクスピアの英語の難しさに辟易していた私は、本場にいるにもかかわらず、恥ずかしながらそれほどシェイクスピア作品を楽しめていなかったのだが、この作品はすっと心に入ってきて(たとえセリフで理解できない部分があっても)、ときに笑い、ときに悲しさを感じながら鑑賞できたのだ。
シェイクスピアに関しては全くの素人と言っていい人間があれこれ偉そうに述べるのも何だが、そうやって楽しめたその一番の理由は、役者陣の声と滑舌の良さ。まず、主役のレッドメインが、想像していたよりずっと朗々とした美しい声の持ち主だったのが嬉しい誤算。周りを固める役者たちも、ボリングブルック役のアンドリュー・バカン(Andrew Buchan)始め、誰もがシェイクスピアの言葉を自分のものにしていたように思う。
そして演出と舞台装置の美しさ。1幕の最後は、2階から両手をすっと差し出して、斜め上方を見上げるリチャード2世に白い光が当たって暗転。ここでは、レッドメインの顔がもともと骨ばっているのもあるが(爆)、精巧なデスマスクを見ているようで、神々しくも不吉な気配が漂う。芝居が始まる前の演出もさることながら、1幕目のリチャード2世は、とかく格式ばった立ち居振る舞いや言葉使いが多く、神の化身である王としての威厳をことあるごとに見せ付ける。だからこそ2幕目の、感情の発露を止めることのできない人間としてのリチャードの脆さ、切なさが心に響いてくるのである。各紙のレビューではレッドメインが美形すぎると批判(?)する意見もみられたが、私は個人的に、この華奢でチャーミングな俳優が、王という鎧でガチガチに身を固めた不完全な人物を演じたことは、この作品にとってプラスに働いたのではないか、というより、彼ありきの作品だったのではないかと思わずにはいられなかった。
ウェールズの海岸で、ボリングブルックの謀反を怒り、罵るシーン。目に涙を浮かべながら身の上を嘆き、弱気な言葉を吐いたかと思うと、次には居丈高な王の態度に戻り、そのまた次の瞬間にはどうしたら良いか分からず、右往左往する。昔、ケネス・ブラナーの「空騒ぎ」の映画に出演した某役者が、クローディオという役を「感情のローラーコースター」と表現していたが、そうした心の揺れ、弱さを、若きエディ・レッドメインは、全身で表現していたのではないだろうか。
舞台装置で白眉だったのは、ウェールズのフリント城でのシーン。城壁にリチャード2世とそのおつきたちが、その真下にボリングブルックら謀反人の一派が立って、会話を繰り広げる。城壁では温かい、黄みがかった照明が王たちを照らし、薄暗い階下では、真っ白で冷たい明かりがするどく謀反人たちを突き刺す――まるで宗教画やレンブラントの絵画を見ているような、美しい光景だった。
最後に一つだけ、どうでもいいことながら気になったことを。劇場が、本当に寒かった…。インターバルで、あの酒好きのイギリス人たちが軒並みワインじゃなくてホットコーヒーなんぞをすすっていたのだから、その寒さのほどが分かるというもの。ちなみに終演後は女子トイレに長い長い列が即座に出来上がっていた(笑)。
今年はワールド・シェイクスピア・フェスティバルが開催されて、イギリス中がシェイクスピアの舞台で溢れる年。そんな年を迎えたばかりのこのタイミングで、シェイクスピア作品の良さに今更ながら気づかされたのは、実に運が良かった。ぜひこれからも様々な演出、様々な役者を見比べてみたい。あとはエディ君、次はレミゼの映画でお坊ちゃまポンメルシーを演じることになったようだけれど、ぜひまた、舞台の世界に戻ってきてほしい。
2012年1月4日(水)19:30
2010年の年明け、小劇場好きの心のオアシス、Donmar Warehouse。赤と黒で塗りつぶされたポスターが印象的で、ストーリーも出演者もろくろく知らずに観に行った「Red (レッド)」で、アメリカ人画家、マーク・ロスコの弟子、ケンを演じ、リスのようにつぶらな瞳が妙に印象的だった少年(後で知ったがこのとき、彼は既に20代後半。恐ろしき童顔)、エディ・レッドメイン(Eddie Redmayne)。同作品でウェスト・エンドからNYのブロードウェイへ進出、そしていまや映画界でも注目株になってしまった彼が、再びドンマーに戻ってきた。Redを演出した同劇場の芸術監督、マイケル・グランデージ(Michael Grandage)が芸術監督としては最後に手掛けた作品「Richard Ⅱ(リチャード2世)」。タイトルロールを演じるレッドメインを小さなハコで見たさに、多くのファンがチケット争奪戦に加わり、あっという間にソールド・アウト。特に彼のファンというわけではなかったし、リチャード2世というシェイクスピア作品にも思い入れのなかった(と言うより知らなかった)私は、当然のごとく出遅れたわけだが、年末に幻のチケットとも言われた「Jerusalem」をゲット、続いて「Noises Off」の最後の一枚(その日の)を手に入れた私は、「きっとエディも観ることができる」と妙な確信を持って、オンラインのサイトを日々チェックしていたところ、リターン・チケットをゲット。おまけにストール。演劇の神様、ありがとう。
開演20分前くらいに劇場に着くと、既に多くの人たちがバーでお酒を飲んでいる。この劇場は全体的にとってもこぶりなので、バーも小さく、飲まない人間の居場所がない。それでさっさと席につこうと思いきや、スタッフがまだ客席には入れないと言う。何でも15分前になるまで入れないということで、行き場を失った観客たちとともに所在なさげにウロウロしていたら、しばらくしてやっとオープン。入ってすぐに15分前設定に納得してしまった。ひんやりとした舞台上には、既にレッドメイン、もといリチャード2世が王座に着いて瞑想している。芝居が始まるまでの15分間、まんじりともせず、レッドメインは静かに静かに、王冠を頭に戴き、王笏を手に座している(確かにこれを30分続けることは不可能だ)。時代の年輪を刻んだ木の壁がシンプルながら印象的な、2階建ての舞台装置。ロウソクがいくつも灯されていて、冷たい空気とともに、その独特な匂いが、古い大聖堂にでも入り込んだかのような幻想を抱かせる。正直、芝居が始まる前からこの雰囲気に完全にのめり込んでしまった。
ごくごく簡単にストーリーをまとめると、神の化身である王の尊厳を何より尊ぶリチャード2世が、従兄弟のボリングブルックと貴族のトマス・モーブレーの諍いを裁定し、前者に6年間の追放を、後者に永久追放を命じる。ボリングブルックが不在中に、王の叔父にしてボリングブルックの父であるランカスター公の死去に伴い、リチャード2世がその財産を没収したことからボリングブルックが激怒。兵を率いてイングランドに帰国し、王に退位を迫る――といった感じで、筋だけ見れば、やはりさほど興味深い作品ではない。でも、とても面白かった。実はロンドンに来てからというもの、シェイクスピアの英語の難しさに辟易していた私は、本場にいるにもかかわらず、恥ずかしながらそれほどシェイクスピア作品を楽しめていなかったのだが、この作品はすっと心に入ってきて(たとえセリフで理解できない部分があっても)、ときに笑い、ときに悲しさを感じながら鑑賞できたのだ。
シェイクスピアに関しては全くの素人と言っていい人間があれこれ偉そうに述べるのも何だが、そうやって楽しめたその一番の理由は、役者陣の声と滑舌の良さ。まず、主役のレッドメインが、想像していたよりずっと朗々とした美しい声の持ち主だったのが嬉しい誤算。周りを固める役者たちも、ボリングブルック役のアンドリュー・バカン(Andrew Buchan)始め、誰もがシェイクスピアの言葉を自分のものにしていたように思う。
そして演出と舞台装置の美しさ。1幕の最後は、2階から両手をすっと差し出して、斜め上方を見上げるリチャード2世に白い光が当たって暗転。ここでは、レッドメインの顔がもともと骨ばっているのもあるが(爆)、精巧なデスマスクを見ているようで、神々しくも不吉な気配が漂う。芝居が始まる前の演出もさることながら、1幕目のリチャード2世は、とかく格式ばった立ち居振る舞いや言葉使いが多く、神の化身である王としての威厳をことあるごとに見せ付ける。だからこそ2幕目の、感情の発露を止めることのできない人間としてのリチャードの脆さ、切なさが心に響いてくるのである。各紙のレビューではレッドメインが美形すぎると批判(?)する意見もみられたが、私は個人的に、この華奢でチャーミングな俳優が、王という鎧でガチガチに身を固めた不完全な人物を演じたことは、この作品にとってプラスに働いたのではないか、というより、彼ありきの作品だったのではないかと思わずにはいられなかった。
ウェールズの海岸で、ボリングブルックの謀反を怒り、罵るシーン。目に涙を浮かべながら身の上を嘆き、弱気な言葉を吐いたかと思うと、次には居丈高な王の態度に戻り、そのまた次の瞬間にはどうしたら良いか分からず、右往左往する。昔、ケネス・ブラナーの「空騒ぎ」の映画に出演した某役者が、クローディオという役を「感情のローラーコースター」と表現していたが、そうした心の揺れ、弱さを、若きエディ・レッドメインは、全身で表現していたのではないだろうか。
舞台装置で白眉だったのは、ウェールズのフリント城でのシーン。城壁にリチャード2世とそのおつきたちが、その真下にボリングブルックら謀反人の一派が立って、会話を繰り広げる。城壁では温かい、黄みがかった照明が王たちを照らし、薄暗い階下では、真っ白で冷たい明かりがするどく謀反人たちを突き刺す――まるで宗教画やレンブラントの絵画を見ているような、美しい光景だった。
最後に一つだけ、どうでもいいことながら気になったことを。劇場が、本当に寒かった…。インターバルで、あの酒好きのイギリス人たちが軒並みワインじゃなくてホットコーヒーなんぞをすすっていたのだから、その寒さのほどが分かるというもの。ちなみに終演後は女子トイレに長い長い列が即座に出来上がっていた(笑)。
今年はワールド・シェイクスピア・フェスティバルが開催されて、イギリス中がシェイクスピアの舞台で溢れる年。そんな年を迎えたばかりのこのタイミングで、シェイクスピア作品の良さに今更ながら気づかされたのは、実に運が良かった。ぜひこれからも様々な演出、様々な役者を見比べてみたい。あとはエディ君、次はレミゼの映画でお坊ちゃまポンメルシーを演じることになったようだけれど、ぜひまた、舞台の世界に戻ってきてほしい。
2012-01-09
Noises Off
2012年1月2日。新年第一弾は、The Old Vicの「Noises Off(ノイジズ・オフ)」。
やっぱり新年最初は素直にハッピーなものを、と思いセレクト。 もともと舞台裏モノが好きということもあるけれど、思った通り、 三谷幸喜作品的(というより、こちらが本家か)なウェルメイドなコメディで、 深く心に残るというわけではないけれど、心置きなく笑い転げて、 幸先良い年の始まりを迎えられたような気になる芝居だった。
もともとThe Old Vicでは知的系なイギリス人を多く見かけるけれど、 今回は1982年初演の古典的英国作品というだけあって、 英国人(白人)率+高齢者率+家族率が異常に高い。
舞台初日を迎えるまでの俳優と裏方たちが繰り広げるドタバタ劇中劇。 1幕目は客席にいる演出家が舞台上の役者たちに注文を出しつつリハを進め、 2幕目は初日マチネが進行中の舞台裏、そして3幕目で初日イブニングの表舞台を見せる構成。要は舞台上で同じ芝居を3回、形を変えて演じていくというわけ。
1幕目は典型的なストーリー展開で、少々、古臭さが目に付くところもあったけれど、芸達者な役者たちのお陰でところどころでクスリと笑える部分あり。 でも圧巻は2幕目。壁一枚隔てた舞台奥が表舞台(ややこしいな…)という設定で、壁のこちら側(劇中劇では舞台裏)でしっちゃかめっちゃかやりつつも、なんとか滞りなく舞台を進めようとする役者たちの涙ぐましい努力が展開する。 いったん舞台の幕(劇中劇の幕、ね)が開くや、セリフを一言も発することなく、めまぐるしく駆け巡る出演者たちのタイミングのパーフェクトさが実に小気味良い。 もう途中からは観客席も爆笑に次ぐ爆笑。
3幕目は、プライベートで仲違いをしている役者たちがなんとかイブニングをやり遂げようとするものの、もはや修復不可能なまでにストーリーが破壊されていく。正直、3幕目のラストはちょっとやりすぎ感が漂っていたような気もするけれど、同じ芝居を3回連続で見せてここまで笑わせるのは、お見事。
前夜にウェブサイトをチェックして、残り1枚のチケットをゲット。 1席だけだったから余っていた(と思われる)ものの、視界は抜群。デイ・チケットは朝5時から並ぶわよと劇場スタッフに脅されつつ、見事リターン・チケットをゲットした、昨年末最後の「Jerusalem」に引き続きの快挙。舞台そのものの良さもさることながら、幸先の良い2012年観劇スタートに、妙に心が軽やかな夜だった。
やっぱり新年最初は素直にハッピーなものを、と思いセレクト。 もともと舞台裏モノが好きということもあるけれど、思った通り、 三谷幸喜作品的(というより、こちらが本家か)なウェルメイドなコメディで、 深く心に残るというわけではないけれど、心置きなく笑い転げて、 幸先良い年の始まりを迎えられたような気になる芝居だった。
もともとThe Old Vicでは知的系なイギリス人を多く見かけるけれど、 今回は1982年初演の古典的英国作品というだけあって、 英国人(白人)率+高齢者率+家族率が異常に高い。
舞台初日を迎えるまでの俳優と裏方たちが繰り広げるドタバタ劇中劇。 1幕目は客席にいる演出家が舞台上の役者たちに注文を出しつつリハを進め、 2幕目は初日マチネが進行中の舞台裏、そして3幕目で初日イブニングの表舞台を見せる構成。要は舞台上で同じ芝居を3回、形を変えて演じていくというわけ。
1幕目は典型的なストーリー展開で、少々、古臭さが目に付くところもあったけれど、芸達者な役者たちのお陰でところどころでクスリと笑える部分あり。 でも圧巻は2幕目。壁一枚隔てた舞台奥が表舞台(ややこしいな…)という設定で、壁のこちら側(劇中劇では舞台裏)でしっちゃかめっちゃかやりつつも、なんとか滞りなく舞台を進めようとする役者たちの涙ぐましい努力が展開する。 いったん舞台の幕(劇中劇の幕、ね)が開くや、セリフを一言も発することなく、めまぐるしく駆け巡る出演者たちのタイミングのパーフェクトさが実に小気味良い。 もう途中からは観客席も爆笑に次ぐ爆笑。
3幕目は、プライベートで仲違いをしている役者たちがなんとかイブニングをやり遂げようとするものの、もはや修復不可能なまでにストーリーが破壊されていく。正直、3幕目のラストはちょっとやりすぎ感が漂っていたような気もするけれど、同じ芝居を3回連続で見せてここまで笑わせるのは、お見事。
前夜にウェブサイトをチェックして、残り1枚のチケットをゲット。 1席だけだったから余っていた(と思われる)ものの、視界は抜群。デイ・チケットは朝5時から並ぶわよと劇場スタッフに脅されつつ、見事リターン・チケットをゲットした、昨年末最後の「Jerusalem」に引き続きの快挙。舞台そのものの良さもさることながら、幸先の良い2012年観劇スタートに、妙に心が軽やかな夜だった。
2012-01-04
2011年、印象に残った作品たち
今になって振り返ってみると、心にくっきりと刻まれるような圧倒的な作品に出会えることはなかったかなというのが正直なところ。それでもこんな素敵な演目があった(War Horseなどのリピート対象は除く)。
●バレエ
Royal Ballet: 「Rhapsody (ラプソディ) 」
Royal Ballet: 「Les Patineurs (レ・パティヌール)」
バレエはいつも通り、基本的にロイヤル・バレエ中心。やっぱり個人的好みもあって、スティーブン・マックレーが出演した2作品が秀逸。茶目っ気たっぷりに踊り(滑り?)まくる「Les Patineurs」は彼の十八番的な作品だけど、とにかく印象的だったのがラフマニノフの抒情的な名曲とともに踊る「Rhapsody」。音楽の旋律と一体となって、呼吸をするように自然に踊るマックレーの魅力が存分に味わえる作品で、超絶技巧をいとも軽々とこなしてしまう余裕っぷりに憎らしさすら覚えるほど。結局、数日後に当日券を購入して再見してしまった。
対して、ちょっと残念だったのが、ロイヤル・バレエが満を持して世に送り出した世界初演の「Alice's Adventures in Wonderland」。アリスの本は子供のころから好きだったし、舞台装置や衣装には定評のあるロイヤルならば、きっと素晴らしい作品ができるに違いない! 新作発表まで15年以上もかかったし――ということで、異常なまでの期待感を持って臨んだからなのか、振付に特に特徴のない、小さなエピソードをつぎはぎした感のある(まあ、もともとの本がつぎはぎだけれど)作品に、いまいち乗りきれなかった。プロジェクターを使ってストーリーを分かりやすく描き出す演出は、バレエとしては斬新なのかもしれないけれど、バレエ以外の舞台では当たり前の演出なので、ちょっと古臭さを覚えたり(アリスが泣くシーンを、踊りではなく、プロジェクターで涙がこぼれる画を見せるのはあんまりじゃないだろうか)。でも世界初演、初日のガラの独特な雰囲気を(ストールの大多数がタキシード+蝶ネクタイにロング・ドレス+毛皮!)を思う存分味わえたのはラッキーだった。
●ストレート・プレイ/ ミュージカル
「Salad Days (サラダ・デイズ)」(Riverside Studios)
「Frankenstein (フランケンシュタイン)」 (National Theatre)
「Jerusalem (エルサレム)」(Apollo Theatre)
ミュージカルで印象に残っているのは「Salad Days」。観客席を大学の卒業式の父兄席に見立てた装置、役者が卒業式のガウンを身に付けて観客を卒業式の参加者として席に誘導し、インターバルではカフェの中を、これまた役者が衣装を身に付け演技しつつ横切る演出に、現実とは異なる世界をつくり出す徹底した姿勢を感じた。あとは何と言っても虫カゴ持った学者のおじさんと舞台で一緒に踊っちゃったのが何よりの思い出。はたから見るとただクルクル回っているだけなのに、自分が参加したらほんの数分でクタクタ、歌って踊って演じるって凄い(笑)。
ストレート・プレイでは、何と言っても主役のマーク・ライランス(Mark Rylance)の存在感が劇場中を支配した「Jerusalem」。くやしいかな、1幕目と2幕目の、イマドキの若者との間で次々と繰り出される会話にはついていけないこともあって、爆笑の中、一人取り残される憂き目に遭ったりもしたものの、2幕の終わりから3幕にかけて、彼の築き上げてきた、ささやかながら微妙なバランスで保たれたユートピアが徐々に崩壊していく様は凄まじかった。最後、血まみれのライランスと向かい合って演技する子役はトラウマになったんじゃないかと心配になるほど。あて書きではないのだろうが、この人以外のキャスティングはちょっと想像がつかない。このほか、良くも悪くも心に残ったのは、ダニー・ボイル(Danny Boyle)演出の「Frankenstein」。主役2人が交互にフランケンシュタイン博士とクリーチャーを演じるこの作品、私が観たのは、ベネディクト・カンバーバッチ(Benedict Cumberbatch)がフランケンシュタイン博士、ジョニー・リー・ミラー(Jonny Lee Miller)がクリーチャーの回。両方観られればベストだったのだけれど、どちらか一つと言われれば、この組み合わせで良かったと思う。生を授かった歓びを無邪気に表すクリーチャーが、人間の心ない言動のせいで徐々に残虐性を増していく。人間じゃないのにどこか人間臭く、悲痛なまでの哀しさを醜く恐ろしいクリーチャーに吹き込んだミラーの演技に脱帽。あとは、意味のないところでトコトンお金をつぎ込んじゃう辺り、悪い意味での映画監督らしさを醸し出す一面もありつつ、照明含め、独自の美しい世界観を構築していたという点で、さすがはダニー・ボイルかな、と。
●バレエ
Royal Ballet: 「Rhapsody (ラプソディ) 」
Royal Ballet: 「Les Patineurs (レ・パティヌール)」
バレエはいつも通り、基本的にロイヤル・バレエ中心。やっぱり個人的好みもあって、スティーブン・マックレーが出演した2作品が秀逸。茶目っ気たっぷりに踊り(滑り?)まくる「Les Patineurs」は彼の十八番的な作品だけど、とにかく印象的だったのがラフマニノフの抒情的な名曲とともに踊る「Rhapsody」。音楽の旋律と一体となって、呼吸をするように自然に踊るマックレーの魅力が存分に味わえる作品で、超絶技巧をいとも軽々とこなしてしまう余裕っぷりに憎らしさすら覚えるほど。結局、数日後に当日券を購入して再見してしまった。
対して、ちょっと残念だったのが、ロイヤル・バレエが満を持して世に送り出した世界初演の「Alice's Adventures in Wonderland」。アリスの本は子供のころから好きだったし、舞台装置や衣装には定評のあるロイヤルならば、きっと素晴らしい作品ができるに違いない! 新作発表まで15年以上もかかったし――ということで、異常なまでの期待感を持って臨んだからなのか、振付に特に特徴のない、小さなエピソードをつぎはぎした感のある(まあ、もともとの本がつぎはぎだけれど)作品に、いまいち乗りきれなかった。プロジェクターを使ってストーリーを分かりやすく描き出す演出は、バレエとしては斬新なのかもしれないけれど、バレエ以外の舞台では当たり前の演出なので、ちょっと古臭さを覚えたり(アリスが泣くシーンを、踊りではなく、プロジェクターで涙がこぼれる画を見せるのはあんまりじゃないだろうか)。でも世界初演、初日のガラの独特な雰囲気を(ストールの大多数がタキシード+蝶ネクタイにロング・ドレス+毛皮!)を思う存分味わえたのはラッキーだった。
●ストレート・プレイ/ ミュージカル
「Salad Days (サラダ・デイズ)」(Riverside Studios)
「Frankenstein (フランケンシュタイン)」 (National Theatre)
「Jerusalem (エルサレム)」(Apollo Theatre)
ミュージカルで印象に残っているのは「Salad Days」。観客席を大学の卒業式の父兄席に見立てた装置、役者が卒業式のガウンを身に付けて観客を卒業式の参加者として席に誘導し、インターバルではカフェの中を、これまた役者が衣装を身に付け演技しつつ横切る演出に、現実とは異なる世界をつくり出す徹底した姿勢を感じた。あとは何と言っても虫カゴ持った学者のおじさんと舞台で一緒に踊っちゃったのが何よりの思い出。はたから見るとただクルクル回っているだけなのに、自分が参加したらほんの数分でクタクタ、歌って踊って演じるって凄い(笑)。
ストレート・プレイでは、何と言っても主役のマーク・ライランス(Mark Rylance)の存在感が劇場中を支配した「Jerusalem」。くやしいかな、1幕目と2幕目の、イマドキの若者との間で次々と繰り出される会話にはついていけないこともあって、爆笑の中、一人取り残される憂き目に遭ったりもしたものの、2幕の終わりから3幕にかけて、彼の築き上げてきた、ささやかながら微妙なバランスで保たれたユートピアが徐々に崩壊していく様は凄まじかった。最後、血まみれのライランスと向かい合って演技する子役はトラウマになったんじゃないかと心配になるほど。あて書きではないのだろうが、この人以外のキャスティングはちょっと想像がつかない。このほか、良くも悪くも心に残ったのは、ダニー・ボイル(Danny Boyle)演出の「Frankenstein」。主役2人が交互にフランケンシュタイン博士とクリーチャーを演じるこの作品、私が観たのは、ベネディクト・カンバーバッチ(Benedict Cumberbatch)がフランケンシュタイン博士、ジョニー・リー・ミラー(Jonny Lee Miller)がクリーチャーの回。両方観られればベストだったのだけれど、どちらか一つと言われれば、この組み合わせで良かったと思う。生を授かった歓びを無邪気に表すクリーチャーが、人間の心ない言動のせいで徐々に残虐性を増していく。人間じゃないのにどこか人間臭く、悲痛なまでの哀しさを醜く恐ろしいクリーチャーに吹き込んだミラーの演技に脱帽。あとは、意味のないところでトコトンお金をつぎ込んじゃう辺り、悪い意味での映画監督らしさを醸し出す一面もありつつ、照明含め、独自の美しい世界観を構築していたという点で、さすがはダニー・ボイルかな、と。
2012-01-03
2011年総括
仕事がちょっとバタバタしていたのと、年末に体調を崩したことかもあって、過去数年で最も観劇数が少なかった2011年。まずは観劇した作品の一覧を。
Royal Ballet: Les Patineurs/Beatrix Potter
Ghost Story
Salad Days
The Phantom of the Opera (JOJ)
Ordinary Days
Frankenstein
Royal Ballet: Alice's Adventures in Wonderland (World Premiereガラ公演含む)
Royal Ballet: Rhapsody/Sensorium/'Still Life' at the Penguin Café
Royal Ballet: 東日本大震災ガラ公演
Royal Ballet: Swan Lake
Ecstasy
Royal Ballet: Manon
Royal Ballet: Ballo della regina/Live Fire Exercise/Danse à Grande Vitesse
Rambert School Show
Strictly Gershwin (Royal Albert Hall)
Rosencrantz and Guildenstern Are Dead
English National Ballet School Performance
Realism
War Horse
English National Ballet : Putit
La Boheme (Kings Head)
Crazy for You (Regent’s Park Open Air)
Betwixt!
Halcyon Days
Betty Blue Eyes
Royal Ballet: Jewels
Birmingham Royal Ballet: Autumn Glory (Checkmate/Symphonic Variations/Pineapple Poll)
Royal Ballet: Scènes de ballet/Voluntaries/The Rite of Spring
Royal Ballet: The Sleeping Beauty
Murmurs
Birmingham Royal Ballet: The Nutcracker (O2)
Jerusalem
(きちんとメモを取っておかなかったので、抜けているのがあるかも)
次回は、これらの中で印象に残った作品について、簡単にコメント。
Royal Ballet: Les Patineurs/Beatrix Potter
Ghost Story
Salad Days
The Phantom of the Opera (JOJ)
Ordinary Days
Frankenstein
Royal Ballet: Alice's Adventures in Wonderland (World Premiereガラ公演含む)
Royal Ballet: Rhapsody/Sensorium/'Still Life' at the Penguin Café
Royal Ballet: 東日本大震災ガラ公演
Royal Ballet: Swan Lake
Ecstasy
Royal Ballet: Manon
Royal Ballet: Ballo della regina/Live Fire Exercise/Danse à Grande Vitesse
Rambert School Show
Strictly Gershwin (Royal Albert Hall)
Rosencrantz and Guildenstern Are Dead
English National Ballet School Performance
Realism
War Horse
English National Ballet : Putit
La Boheme (Kings Head)
Crazy for You (Regent’s Park Open Air)
Betwixt!
Halcyon Days
Betty Blue Eyes
Royal Ballet: Jewels
Birmingham Royal Ballet: Autumn Glory (Checkmate/Symphonic Variations/Pineapple Poll)
Royal Ballet: Scènes de ballet/Voluntaries/The Rite of Spring
Royal Ballet: The Sleeping Beauty
Murmurs
Birmingham Royal Ballet: The Nutcracker (O2)
Jerusalem
(きちんとメモを取っておかなかったので、抜けているのがあるかも)
次回は、これらの中で印象に残った作品について、簡単にコメント。
2012-01-01
2012年、新たなる新年の誓い
2011年1月、新年の誓い「観劇ブログを立ち上げる」という新年の誓いとともに立ち上げたこのブログ、まさに「立ち上げた」だけで2011年が終了…。
2012年こそは、誓いも新たに、「継続する」ことを目標にブログをアップしていきたいと思う。
2012年こそは、誓いも新たに、「継続する」ことを目標にブログをアップしていきたいと思う。
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