2012-01-22

The Table

Soho Theatre
1月12日(木)19:30

思えば私は、昔から妙に人形劇が好きな子供だった。物心ついて初めて観たのは、小学生のころに観た、チェコからやって来たぎょろ目の人形たちのちょっと不気味な作品(今、チェックしたらイジー・トルンカのマリオネット劇、だったらしい)。それ以降、かわいらしいパペット、と言うよりは、大人な雰囲気の漂う人形劇を好んでよく観ていたように思う(ちなみにWar Horseももれなく好き。これは子供も楽しめるけれど、子供向けじゃないと声を大にして言いたい)。

で、「The Table」。ロンドン・インターナショナル・マイム・フェスティバルをチェックしていたら、いやにぶさいくなモアイ像チックな人形の画像が目に付いた。内容を見てみると、ちっちゃなモーゼがテーブルの上で自らの人生の最後の12時間を語る、とある。…わけが分からない。けれど昨年のエディンバラ・フリンジではファースト・プライズを取ったとあるし、きっと面白いに違いない。ということで、その日のうちにチケットをゲット。ちなみにその後、その日のチケットはすぐにソールド・アウトになったので、チケット運の良さはまだ継続中のよう。劇場ではドラマ・スクールの学生と先生が集団で押し寄せていたせいか、若者の街、渋谷についうっかり入り込んでしまったかのような、独特の熱気に溢れた中での観劇となった。

本作品は3つのパートに分かれていて、最初がモアイ像ことリトル・モーゼ君。簡易テーブルが置かれただけの超シンプルな舞台に、黒づくめの3人の男性が登場。彼らがモーゼ君を操るわけだが、うち一人は頭を操ると同時にモーゼ君のセリフも担当。「これはブンラク(文楽)形式なんだぜ!」と彼が何度も自慢げに言うように、3人は特に存在を消すわけでもなく、それどころかモーゼ君は3人のうち一人にからんだりする(手を操る男性は自分で自分に突っ込んでいるわけだ)。

構成はいたって単純。モーゼ君が自らの人生の最後の12時間を語ろうとするものの、観客をいじったり、パペットの持つ潜在能力を見せつけたり、突然の第三者が登場したりと色々邪魔が入る。要はメイン・テーマはモーゼの人生なんかじゃなく、モーゼ君のインプロビゼーション&スタンダップ・ショー。「パペットってこんなこともできちゃうんだぜ」と、吹きすさぶ嵐の中歩いたり、フランスでバゲットを買ったり、ランニング・マシーンで走るモーゼ君。マイムのネタとしては真新しくもないが、段ボールの頭にカーテンの布でできたメタボ腹、妙にひょろ長い手足のモーゼ君がやると、異常にキュートに見えてしまう。「テーブルの上が自分の人生のすべて」と言いながら、意気揚々とその人生の素晴らしさを語る一方、後半、突如テーブル上の自分の世界を浸食し出す女性に怒りつつも必死に語りかけ、触れて、一人きりのテーブル上での人生に孤独を感じるガラスのハートを垣間見せる。愛おしさを感じずにはいられないキャラなのだ。モーゼ君が「この舞台のことを後で他人に説明するのは難しいだろうな。芝居の間じゅう、テーブルの上で一体のパペットがしゃべってたとでも言うのかい?」ってしゃべってましたが、確かに難しい(笑)。

次のパートは、音楽に合わせて、3つの額縁の間を行き来する、浮遊するゴム製(?)のマスクと手のパフォーマンス。これは綺麗ではあったけれど、特筆すべき点はなし。最後のパートは、「紙芝居」。さきほどの3人の男性+女性1人の計4人が、黒服に身を包み、タバコをくわえながら、アタッシュケースに入った無数のイラストを次々と出しては、無声紙芝居を展開する。これもアイデア的には斬新ではないものの、上下左右の空間を上手く利用して物語の世界を広げていく手法や、パフォーマーの表情をも芝居の一部としてしまうお茶目ぶりが、なかなか魅力的だった。

総合的に見ると、やっぱりリトル・モーゼ君のキャラが際立っていた最初のパートが圧倒的に面白かった。ちなみに今回、すべてのパフォーマンスを担当したブラインド・サミット・シアター(Blind Summit Theatre)は、サイモン・マクバーニーの「春琴」でも人形操作を担当。オペラでも活躍する注目株らしい。モーゼ君はもちろん、彼らの洒脱なパフォーマンスが全体的に光っていた作品だった。