2013-06-18

「The Book of Mormon (ザ・ブック・オブ・モルモン)」

Prince of Wales Theatre
3月16日(土)14:30(プレビュー)


アメリカなのに、なのか、それともアメリカだから、なのか。宗教や同性愛、人種といったタブーにここまで踏み込みながら、一方に偏りすぎることなく大団円に持ち込む絶妙のバランス感覚。そして観ている間は、そんな小難しいことを全く考えることなく、ただ思い切り笑い転げることのできる圧倒的なエネルギー。いつもはイギリスびいきの私でも、やっぱりこれだからブロードウェイは凄い、そう素直に思える作品だった。

アメリカで驚異的なまでの人気を博し、2011年のトニー賞9部門を制したモンスター・ミュージカルが、満を持してロンドンはウェスト・エンドに。待ちに待ったトランスファーに、ロンドンのシアターゴーアーたちの興奮はオープニングの数か月前から最高潮に達していた。チケット争奪戦には出遅れたものの、何とかリターンを獲得し、オープニング直前のプレビュー公演を観る。劇場は始まる前からものすごい熱気。(誇張ではなく)酸素が薄く感じられるほどで、音楽が鳴ると同時に一斉に拍手と歓声が沸き上がった。

モルモン教、と言えば、ユタ州ソルトレイクシティに拠点を置くキリスト教系の新興宗教、程度しか知らなかった私は、事前に簡単にいくつかの前知識を仕込んでから観劇に臨んだのだけれど、これらを知ると知らないとでは全く舞台の面白みが変わってくると思うので、以下にいくつか、まとめておく。

・創設者のジョセフ・スミス・ジュニアは預言者モロナイから「ゴールデン・プレート」と呼ばれる書物の存在を告げられる。その書物を掘り出して翻訳したのがモルモン書である。
・宣教師になるには2年間の布教活動が必要。活動の際には2人1組で行動する。
・結婚前の性的行為やコーヒーなどのカフェインを含む飲料摂取は禁じられる。
・決まった下着(ガーメント)を身に着ける。ちなみに白色で、形状はステテコに似ている。

ミュージカル作品としての驚愕するような真新しい要素はないと言えるかもしれない。ただ、徹頭徹尾バカバカしいことを大真面目にやるその姿勢、そしてそのバカバカしい(けれど演じる上では非常に難易度の高い)ことを素晴らしい俳優陣が本気で演じていることが感動的なレベルにまで達しているという点が、典型的なブロードウェイの良作のつくりを踏襲しているように思う。

ごくごく簡単なあらすじは以下の通り。優等生のエルダー・プライスと、彼とパートナーを組むことになる劣等生、エルダー・カニンガムの2人が、(ミッキーマウス好きのプライスがフロリダ州オーランド行きを熱望していたにもかかわらず)アフリカはウガンダで2年間の布教活動を行うことに。しかし貧困やエイズなど、様々な問題に直面しているウガンダの人々にとって、モルモンの教えは絵に描いた餅でしかない。2人よりも先にウガンダにやって来ていたエルダーたちも大苦戦。とにかく一人でもバプタイズ(洗礼)させねばと、破れかぶれになったカニンガムは劣等生ならではの意表をつく行動に出る…。一昔前の西洋諸国による固定概念的なウガンダの人々と、妄信的に一つの宗教を信じている人たちのズレまくりな言動――意図的に明快すぎる描写で笑いを引き出しつつも、最終的にはどの人たちもバカにして終わるのではなく、うまくすくい上げる。だからこそ、一つひとつの場面ではかなり露骨なブラック・ジョークが見られるものの、最後には爽快な気持ちになれるのだろう。

主演の2人、プライスとカニンガムを演じたのは、同役をブロードウェイで演じた経験を持つギャビン・クリール(Gavin Creel)とジャレッド・ガートナー(Jared Gertner)。必ずしもブロードウェイに出ていたから良い、とは言えないけれども、この2人はともにさすがの貫録と実力を見せつけてくれた。クリールは汗を滝のように流しながら、難易度の高い歌を次々と歌い上げつつカチコチの優等生ぶりを発揮。愚かしいまでのまっすぐさに真実味があったおかげで、特に将軍やその部下たちに信仰の素晴らしさを説く「I Believe」は、バカらしくも神々しさすら感じるシーンになっている。ガートナーは外見からしてカニンガムにうってつけ。歌唱力というよりは愛嬌とコミカルな演技で光っていた。先輩エルダーの一人、エルダー・マッキンリーを演じたのは、「ジャージー・ボーイズ」でオリジナルのボブ・ゴーディオだったスティーブン・アッシュフィールド(Stephen Ashfield)。爽やかすぎてどこか胡散臭い笑顔が役柄にピッタリ。そのほか、カニンガムが恋心を抱くウガンダの少女ナバルンギを演じたアレクサ・カディーム(Alexia Khadime)も堂々たる歌声でソロのラストでは拍手喝采を浴びていた。

予想通りというべきか、イギリスでの新聞各紙のレビューは、トニー賞9部門獲得作品としては惨憺たる有様(大多数は星3つ。「デーリー・メール」紙のクエンティン・レッツ氏は「観始めて10分でうんざり」「行く価値なし」と酷評)。こういう、いかにもなブロードウェイらしさを頑なに受け入れないのが(一部の)イギリス人の固さであり、でもだからこそブロードウェイとウェスト・エンドがそれぞれ異なる魅力を持つ作品をつくり出せる所以なのかな、とも思う。ちなみにこうしたレビューもなんのその、同作品の人気が衰える兆しは皆無。それはそれで良いのだが、一点いただけないのが、チケット料金の値上がり率。最近、ウェスト・エンドでは人気作品におけるプレミアム・シート導入(通常、60ポンド台のストールズやドレス・サークルなどの一部を80ポンド台で販売)が目立っているが、同作品ではプレビュー当初は80ポンド台だったプレミアム・シートが現在、一気に127ポンドにまで値上がりしている。いくらなんでもこの短期間でこの値上がり率はあり得ないと思うのだけれど…。

「Merrily We Roll Along (メリリー・ウィ・ロール・アロング)」

Menier Chocolate Factory
2月23日(土) 20:00


コメディー作品で個人的に苦手なのは、笑わせよう、という作り手の意思が見え見えなもの。「面白いでしょ」と押し付けられるほどに、すっと気持ちが冷めていく。演じている側はすごく必死で真面目なのに、観る側に笑いとともにときに温かみを、ときに痛みをもたらす、そんなコメディーが好きだ。「Merrily We Roll Along(メリリー・ウィ・ロール・アロング)」はコメディーではないけれど、主人公の3人が大ゲンカを繰り広げ、罵詈雑言を浴びせ合うときよりも、希望を胸に夢を語り、肩を並べて歌っているときの方が切なく、心にトゲが刺さる。わざとらしさを感じさせず、怒りの中に悲痛な心の内の叫びを、からりとした明るさの中に悲哀を内包させる良質なミュージカルだった。

現在はウェスト・エンドのHarold Pinter Theatreにトランスファーしている本作を、2月23日、元々の劇場、Menier Chocolate Factoryで観る。本作は、1934年にストレート・プレイとして上演された同名作品を基に、ジョージ・ファース脚本、スティーブン・ソンドハイム作曲・作詞でミュージカル化したもの。初演は1981年(ブロードウェイ)。ロンドンではこれまで何度か上演されているが、今回は1992年には同作に出演していたミュージカル界の大御所、マリア・フリードマン(Maria Friedman)が初めて演出を手掛けたことでも注目を集めた。演出的に奇抜な点はなく、シンプルな装置で丁寧に脚本をなぞっていく印象。とにかく3人の主人公たちが歌唱力と演技力でぐいぐい舞台を引っ張っていく。

物語は非常にシンプル。著名なソングライターで映画プロデューサーのフランクリン(フランク)・シェパードと劇評家のメアリー・フリン、作詞家のチャーリー・クリンガス、この3人の別離から出会い(この順番がポイント)までを描いていく。いわゆる時間軸をさかのぼっていく構成で、そのアイデア自体は真新しいものではないけれど、役者の力量によって、3人が若くなればなるほど、友情が深まっていけば深まっていくほど(過去に向かって深まる、というのもおかしな言い方だが)、観客はそれ以前に見せつけられた、その先に待ち受ける別れを否が応にも思い起こすこととなる。

典型的な2枚目業界人フランクをこってり濃厚に演じたのはマーク・アンバース(Mark Umbers)。メアリーを演じたジェンナ・ラッセル(Jenna Russell)は、画家スーラの半生を綴った「Sunday in the Park with George(日曜日にジョージと公園で)」でオリヴィエ賞を獲得した実力派。個人的には時折デフォルメされた演技が気になることがあるが、歌唱力は安定していて、ソンドハイムの難曲でも安心して聴いていられる。気弱なダメダメぶりが外見からにじみ出ているチャーリー役のダミアン・ハンブリー(Damien Humbley)は、テレビのスタジオでフランクに対する感情を爆発させるシーンで、突如ぷつんと我慢の限度を超えてしまった逆上ぶりが秀逸だった(ちなみに渋めのアーティスト写真と舞台上での姿はまるで別人だ)。

フランクの妻ベスが夫との別れの際に悲痛な声で歌う歌が、ときをさかのぼって結婚式で幸せいっぱいに歌われるまさにその曲だったり、アル中でフランクに悪態をついてばかりいるメアリーが実は密かにフランクに思いを寄せていることが明らかになったり。人生において「あのときこうしていれば」という「たら、れば」はつきものだけれど、そうした人生の岐路をこの作品は残酷なまでに見せつける。最後のシーンは1957年、ニューヨークにあるアパートの屋上。3人が空を駆ける人類初の人工衛星スプートニクを見つめながら「何だって可能なんだ」と歌うシーンは瑞々しく夢に溢れていて、その分、時の流れの残酷さと喪失感を痛いほどに感じた。

2013-06-16

「Macbeth(マクベス)」

Trafalgar Studios
2月16日(土) 19:30


シェイクスピアの4作品の舞台設定を現代に置き換えたBBCのミニ・シリーズ「シェイクスピア・リトールド(ShakespeaRe-Told)」(2005年)の「マクベス」で、三ツ星レストランのシェフの座を獲得するため自らの手を汚したスー・シェフ、ジョー・マクベス役を演じた俳優、ジェームズ・マカヴォイ(James McAvoy)が、満を持して舞台に挑戦。スコットランド出身のマカヴォイ、実在の中世スコットランドの王、マクベスの半生を基に描かれたこの物語の主人公を演じるとあって気合は十分。かなりウェイトを増やしたとみえ、ゴツイ体躯に髭面で舞台を縦横無尽に駆け巡り、こてこてのスコットランド訛りを駆使しまくる、非常にパワフルで若々しいマクベスだった。

この「マクベス」、とにかく全体を通して薄暗くて薄汚い(これは別に悪い意味で言っているわけではない)。舞台は近未来のスコットランド。舞台を客席が前後に挟む形になっていて、特に舞台と同じ高さに設定された後方前列の客席は、通路を斧を持った俳優たちが駆け抜けるわ、目と鼻の先で俳優たちが血しぶきをあげてるわで、「鑑賞」というより「(無理やり)参加」という感覚だったのではないだろうか(ちなみに後方最前列の女性は、いかにも上質な服を着ていたのに血糊がついてしまい、休憩中、劇場側にクレームを出していた)。薄暗い地下室のような空間に、小汚い衣装を着た荒くれ者たち。3人の魔女たちはガス・マスクを装着している。途中、血しぶきは舞うし、マクベスはトイレで吐いたり蛍光色の液体をがぶ飲みしては吐き出すしで、ここまで見苦しくしなくても…と思わず目をそむけてしまいたくなるほど。権謀術数がはびこる中世スコットランドにおける下克上の様子を描いた戯曲だから、この「暗く、汚い」も原作に忠実にした結果、と言えるかもしれないが、それでもここまで押し通すのは勇気がいったのではないだろうか。

15歳のときに初めて「マクベス」を鑑賞、「いつか自分自身もやりたい」と思ってきたというだけあって、マカヴォイは実に生き生きと演じている。通常、ベテラン俳優が演じることが多いこのマクベスの役に33歳という若さで挑戦することを逆手に取ったような、フィジカル面で「これでもか」と押しまくるような演出も多く、後半、マクベスが魔女たちに予言を求めるシーンでは、ポリタンクに入った蛍光色の液体を飲むことによって何者かに憑依され、自分自身の口から数々の予言が語られるのだが、見るからに不味そうな液体をがばがば飲んでは吐き出し、絞り出すようにがなり立てているのを見て、「これは毎日やったら体がもたないのでは…」と余計な心配をしてしまうほどの鬼気迫る演技だった(ちなみに回を重ねるにつれ声がかれてきたという指摘があったが、さもありなんである)。一方、メンタル面でも心が千々に乱れるマクベスの心情を良く捉えていて、特にマクダフの妻と子供を殺害するシーンでは、妻役のアリソン・マッケンジー(Allison McKenzie)の熱演もあり、ダンカン王を殺害したことを悔やみ、怯えていたマクベスが、迷いなく自らの手を汚して2人の息の根を止めたことで、一線を越えてしまった人間の凄みを感じさせた。なお、マクダフの妻を殺害する際には、これでもかとばかりに観客の目前で首を締め上げて絶命させたのに対し、息子の方は去り際に棚(?)に隠れているのに気づき、そっと近づいて棚の扉越しに刺し殺す、という対照的な演出になっていて、ともに陰惨ながらもその静と動のコントラストが効いていた。

個人的に少々残念だったのは、マクベス夫人役クレア・フォイ(Claire Foy)。マクベスが彼女のお腹に手をやって、自分たちの子供をかつて失ったことを示唆するシーンなどではいたわり合う仲睦まじい夫婦ぶりが好印象だったが、子供のいない劣等感や夫を殺人に駆り立てる野心、夫に対する愛情、そして次第に表面化する罪の意識など、様々な感情を内包する女性としては少し線が細く、深みに欠けるように思えた。ただ、この作品ではマカヴォイ演じるマクベスが舞台をぐいぐい引っ張っていて、特に後半は夫人が振り回されている感すらあったので、マクベスに強い存在感を与えるために、あえて夫人には豪胆さや強さを持たせない演出だったのかもしれない。

若さや情熱を全面に押し出した今回のマカヴォイ・マクベス。33歳という今でなければできないマクベス像を確立していたと思うけれど、「押し」が強すぎて、少し「引いた」部分もあれば、と感じなくもなかった。年を重ね、経験を重ねてもう一度この役を演じることがあれば、今度は全く違うマクベスを見せてほしいなと思う。

2013-06-13

「The Audience(ジ・オーディエンス)」


Gielgud Theatre
2月16日 14:30(プレビュー)

映画「クイーン」で威厳に満ちたエリザベス女王を演じた御大ヘレン・ミレン(Helen Mirren)が再び女王役を演じ、脚本を担当するのはその「クイーン」を手掛けたピーター・モーガン(Peter Morgan)。そして演出は「ビリー・エリオット」でサッチャー政権下のイングランド北部の炭鉱に住む人々の姿を描いたスティーブン・ダルドリー(Stephen Daldry)とくれば、こうならないわけがない。

昨年、即位60周年を迎えたエリザベス女王。25歳で王位を継いでから現在までの期間に、実に12人の首相が生まれては去っていった。この舞台では、君主と首相が毎週行う謁見の様子を、奇を衒うことなく丁寧に、次々と見せていく。

ミレンの女王っぷりはさすがの一言。普段の顔つきはさほど女王に似てはいないけれど、舞台上での彼女は、外見もさることながら視線のやり方から座り方に至るまで、一挙手一投足が女王そのもの。時間軸をバラバラにして各首相との謁見の様子を細切れに見せていく演出で、その都度、時間をさかのぼったり、飛び越えたりしなければならないわけだが、若かりしころの初々しさや戸惑い、戦時中の苦悩、時代とともに培った威厳などを瞬時にその身に纏って颯爽と舞台に現れる。そしてその女王に対峙する首相たちがまた秀逸。ジョン・メージャーなど、外見からして瓜二つな俳優もいれば、キャメロン現首相のように、顔のつくりは異なるけれども育ちの良さそうなピチピチとした演技で「らしさ」を追求する俳優もいるが、いずれも実にそれぞれの首相のポイントを突いている。中でも「おいしい」役柄なのが、ハロルド・ウィルソン(演じるのはリチャード・マッケイブ(Richard McCabe))。この作品では、依怙贔屓など絶対にしない女王が唯一、特別な感情を抱く人物という設定になっていて、女王に記念写真をねだったり、スコットランドのバルモラル城で女王やコーギー犬たち(!)と寛いだりと、何度か登場する。最後の謁見で、記憶力が低下しつつある自分自身に衝撃を受けるウィルソンに対して女王が優しく語り掛けるシーンでは、女王のウィルソンへの深い親愛の情が痛いほどに伝わってきた。

一方、個人的に一番弱いと感じたのが、サッチャーとのシーン。サッチャー役のヘイデン・グウィン(Haydn Gwynne)は、ダルドリーが演出した舞台版「ビリー・エリオット」でミセス・ウィルキンソンのオリジナル・キャストを務めた実力派。だが今回は、外見のインパクトの弱さ(他の首相と比べると、全く本人とは似ていない)だけでなく、女王とのやり取りに緊迫感以外の深みが見られなかったように思う(これは演じる側というよりは、脚本・演出的な問題かもしれないが)。なお、プレビューではウィンストン・チャーチル役を87歳のロバート・ハーディ(Robert Hardy)が演じていたものの、初日直前に体調不良で降板、エドワード・フォックス(Edward Fox)が引き継いでいる。

女王と首相たちのやり取りの合間には、まだ幼いエリザベスが姿を現し、現在の女王とわずかな会話を交わしていく。突然父親が王位を継ぐことになり、やがては自分自身も君主とならざるを得なくなった才気あふれるおしゃまな少女を導くように、温かく言葉を掛ける女王の姿に、長い月日を女王として過ごした彼女が得たものと失ったものが見えたような気がした。

2013-06-12

2013年の観劇作品

2013年になってから、既にいくつもの舞台を鑑賞しているわけだけれど、約半年が経った今、そのすべての記憶を掘り起こして感想を書くのは少々厳しいので、できるものだけでもさかのぼってみてみたい。

サーペンタイン・ギャラリーのパビリオン

エネルギーを満タンにして向かったのは、ハイド・パーク。思った通り、すごい人。サーペンタイン・レイクはボートを楽しむ人でいっぱい。


公園に行くとき、いつもならあてもなくぷらぷら歩くのが常だけれど、今回は目的が。それがハイド・パークのお隣、ケンジントン・ガーデンズにあるサーペンタイン・ギャラリー横の敷地に夏季の間だけ出現する「サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン(The Serpentine Gallery Pavilion)」。今年のデザインを担当したのは、何と日本人建築家の藤本壮介氏。真っ青な空と木々の濃い緑に囲まれた空間に突如現れる巨大な白いパビリオンは、ものすごいインパクトがある。


白い棒を組み合わせてつくられていて、内部にはカフェ・スペース。フォートナム・アンド・メイソンのカフェ・スタンドが入っていた。メディアでは「ジャングルジム」のよう、なんて形容されていたこともあり、晴天限定の建物、なんて思っていたのだけれど、上部には透明の板が張られていたので、雨でも平気なのかもしれない。パビリオンの上部には数カ所、隙間があり空を直接望めるようになっていて、青、白、緑の鮮やかなコントラストに思わず口をポカーンとあけて上を見上げてしまった。



どうせならパビリオン内でお茶を楽しみたかったけれど、既にクローズの時間。そこで前から一度行ってみたかったサウス・ケンジントン駅近くのクレープ屋、「ザ・ケンジントン・クレープリー(The Kensington Crêperie)」へ。


友人とシェアしたバタースカッチ味のクレープはシンプルながら濃厚な甘みが後を引く。今度は外はパリパリ、中はふんわりの食事クレープにも挑戦してみたい。


晴れているというだけで、ロンドンはいつもの何倍も美しくなるような気がする。同じような写真をいくら撮っても飽きなくて、何枚も何枚も同じような空と自然の写真ばかりが増えてしまう。ようやく、ようやくロンドンに訪れた夏(春は果たしてあったんだろうか)。来週も、再来週も、また外に繰り出したくなるような週末になってくれれば…。

イースト・エンド散策

数週間続けて、週末に晴天が続いている。ロンドンに10年近く住んでいる身としては、そろそろ「何が起こっているんだ」と不安を覚えるころだが、それはそれとして、今回もまた、いそいそと青空の下に繰り出した。

まず訪れたのが、東部のハガーストン(Haggerston)。駅前のスペースでイベントをやっているらしい、と友人が聞きつけたのでやって来たのだけれど、バーやフード・ストールだけでなく、なぜか藁があちらこちらに積まれている。


藁でできた寛ぎスペース。「No Smoking on the Hay」と書いてあった。確かにとっても危険。ちなみにこの藁ソファ、座り心地はなかなか良いけれど、わらがいっぱい体に付いてくる。



中央には赤と緑のギンガム・チェックのクロスが敷かれたテーブル。小さな花が活けてあるのがとてもキュート。

そしてストールをチェックして選んだ本日のお昼は…


ブリオッシュ生地のバンズに、ぷりぷりのロブスターとシャキシャキ野菜がたっぷり入ったロブスター・ロール(8ポンド)と、


炭火焼の焼き鳥2種(計4ポンド)。ねぎまと鳥レバー梅ソースという、日本人にはうれしいラインナップ。屋台ものとしてはちょっと高めだけれど、味は抜群だった。


普段、あまりイーストに来ることはないけれど、気負わず心地良い雰囲気を満喫できてうれしかった。

トイレすらイースト・エンドらしさが漂っている。先週末のケンジントン・パレスのトイレとは好対照(笑)。

ちなみに後で調べてみたところ、これは「Gizzi Erskine’s Barn Yard Party」というイベントで、Gizziはテレビにも出演するセレブ・シェフなのだとか。おまけに写真を見てびっくり。焼き鳥屋さんでいやに目立つ女性がいるなと思い、写真を撮らせてもらった女性がGizziだった…!

牧歌的な雰囲気を思う存分楽しみ、次に向かったのは、お隣ホクストン駅のすぐ近くにあるスカンジナビアン・ベーカリー「ファブリック(Fabrique)」。スウェーデンはストックホルム発で、石窯を使って焼いたパンが人気なのだとか。





一見、そっけないインテリアだけれど、壁の文字や照明にこだわりがうかがえる。

芸がないと言われようが、やっぱりスカンジナビアと言われたら、これを外すわけにはいかない…ということでシナモン・バンとカフェラテをチョイス。

大きすぎず、甘すぎず、良いバランス。


なんだかイーストではオシャレ犬遭遇率が高いような気がする。

すぐそばには、ジェフリー・ミュージアムが。外から見ても素敵な建物。今日は入らなかったけれど、次の機会にはぜひ!

そしてようやくお腹がいっぱいになったところで、この日のメインイベントへ。

(続く)


ケンジントン・ガーデンズでアフタヌーン・ティー

週末に晴れたら公園へ、というのはもう、次いつ晴れるか分からないロンドンに住んでいる身にとっては強迫観念のようなもの。というわけで、見事に晴れた6月初めの日曜日は、ケンジントン・ガーデンズへ。


勝手にネットを張ってバレーボールを楽しむ人たち。お世辞にもうまいとは言えなかったけれど、ものすごく楽しそうで、観ているこちらも笑みが漏れてしまう。

しばらく何もせずに芝生に座りまったりした後に向かったのは…

 
ケンジントン・パレスの「オランジュリー(The Orangery)」。実はロンドンに来てすぐのころ、一度行ったきりだったので、こんな緑のトンネルがあることも忘却の彼方だった。

予約は入れていなかったけれど、待つことしばし。無事に席を獲得。今回は本当に久々の、アフタヌーン・ティーを楽しむのが目的。ここのアフタヌーン・ティーは他の有名ホテルのものと比べると安価だけれど、それゆえにレベルは少々…という声を聞くこともあるものの、7、8年前に食べたときと比べると、レベルアップしている印象を受けた。とにかく、この建物の雰囲気と青空、紅茶とスイーツがあれば、幸せにならないわけがない。

 
食後にちょっとだけケンジントン・パレスのショップに立ち寄る。ちなみにここのトイレのマーク、王室好きにはたまらないちょっとした工夫が。
 
気分だけはロイヤルになれる(笑)。
 
芝生の上に寝っころがって思う存分のんびりした後には、公園のすぐそばの「ラヌーシュ (Ranoush)」でお気に入りのオクラのシチューを食べて大満足。
 
本当にロンドンでは、晴れた日に特に何をするというわけでもなく公園でぶらぶらするということこそが、一番の贅沢だと思う(今回はアフタヌーン・ティーというちょっと特別なイベントもあったけれど)。
 


 




ブログ再出発

これまで、別のタイトルでさぼりつつ時折書いていたブログを、全面的に加筆修正。これまでとはちょっと方向性も異なるので、タイトルも変えて再出発することにした。

ロンドンで観たストレート・プレイやミュージカル、バレエなどあらゆる舞台の感想を中心に、日常生活のひとコマを綴っていきたいと思う。

2013-06-09

アルバム ――ヘイオンワイ 6










本と羊と散歩道 ―― ヘイオンワイ 5



2日目。早起きだけど目覚めもすっきり。眩い朝日が差し込む食堂で朝食をとる。雨女で鳴らしている私にしては珍しく、2日ともに素晴らしく天気に恵まれている。友人はフル・イングリッシュ・ブレックファスト、私はスモーク・サーモン&スクランブルエッグ。フルーツやトースト、コーヒーもたっぷりで、実に気持ちの良い朝食タイム。どこか非日常の空気が漂う宿の朝ごはんは、私にとっては旅行の醍醐味の一つだったりする。


日光の加減で暗くなってしまったけれど、味はとても良かった。

おなかいっぱいになったところで散策スタート。昨夜本屋マップをチェックして、行ってみたいお店数件をピックアップしていたので、そちらへ向かう。まず行ったのは、「hay cinema bookshop」。無骨な棚に入った古本たちが、朝の清涼な空気とともに出迎えてくれた。


前庭の本棚にある本はすべて1冊1ポンド。

どことなく日本の図書館を思い起こさせる1階は、天井まである本棚がぎっしりひしめき合っている。2階にはガラス張りの小部屋もあって、「バッグの持ち込み禁止」なんて書かれていた。そしてみしみし音を立てる床を踏みしめながらあちらこちら見ていたら、装飾が美しい本が並んだ本棚を発見。


一冊開いてページをめくってみると、透かしのラインが清々しい紙のざらりとした質感に、指が心地良さを覚える。

その後は、本屋めぐりは一旦お休みして、インフォメーション・センター近くのフット・パスをちょっとだけ散歩。青々とした芝生の中、幾度となく人が歩いてうっすらとできた自然の歩道をてくてくと。近くでは羊が一心不乱に草を食んでいる。バスの中でも感じたのだけれど、この辺りの羊はロンドン近郊の羊と比べてもかなりフカフカしている。さぞや暖かい毛が採れるだろう。


実に絵になる木。


民家を抜ける道も綺麗に整備されている。

ちょっとした散歩を楽しんだ後は、再び本屋めぐり。インフォメーション・センターの向かいにある「BACKFOLD BOOKS」は、おみやげ屋さんが隣接している小さな本屋。


壁にくっついた小さくて真っ青な本棚と手書きのボードがチャーミング。

すぐ近くにある「CORNER BOOKSHOP」。ここは雑誌が豊富で、ちょっとマイナーなセレクトが興味深い。


この図鑑、タイトルは何とバドミントン・マガジン。


よく分からないけれど、マニアが喜びそうなラインナップ。

そして昨日、リチャード・ブースさんのお店で聞いた「THE KING OF HAY」へ。数年前にヘイ城を売却したリチャードさん、現在は週数回、こちらに顔を出すのだそう。今回はあいにく不在だったけれど、こちらでつい、リチャードさんのお茶目な写真を使ったポストカードを購入。


店内は小さめ。リチャードさんの自伝も置かれていた。

昼食は、昨日訪れたリチャードさんのお店に付設されているカフェで。本屋スペース同様、昔の趣を今に残しつつ、すっきり改装された店内の壁には、「武器よさらば」「百年の孤独」などのポスター。メニューのデザインも数パターンあって気が利いている。


高い天井が気持ち良いカフェ内部。

私が頼んだのはパンケーキ。友人はウェールズらしいものをとウェルシュ・レアビット(ウェールズ風チーズ・トースト)。パンケーキはもうちょっとしっとりしている方が私好みだけれど、酸っぱいヨーグルトとメープル・シロップとのバランスが良かった。


カフェラテもなかなかのお味。


食器類や毛布の置き方にもセンスを感じる。

そして食後は最後の1軒。「the poetry bookshop」は、専門性が明確なだけに、所蔵本のセレクトには自信がある様子。お店のご主人は、私たちの後に入ってきたお客さんとずっとあれこれ専門的な話をしていた。詩は全く詳しくないのだけれど、こちらではディスプレイにただただ感心。階段の途中の壁にディスプレイされた本は、形や大きさも見事にぴったりはまっている。ベケットの本が何冊かあって欲しかったのだけれど、ちょっとお高めだったので断念。


端正な佇まいのthe poetry bookshop。


隙間にうまく合わせたディスプレイの妙。


背景の色との調和が何ともいえない。

あとはアンティーク・ショップを数軒拝見。この街にあるお店は、アンティーク・ショップにしろ、服やインテリアのショップにしろ、観光地っぽさが皆無な、実にセンスの良いところが多かった。今回は本屋中心になってしまったけれど、こうしたお店を見て回るのもきっと楽しいと思う。

この日はバンク・ホリデーだったので、ヘレフォード行きのバスは一日わずか3本。名残おしいけれど、14時半を逃すと次は18時台になってしまうので、ここで散策終了。最後にバス停のそばにある製本屋「THE BLACK MOUNTAINS BINDERY」にちらり立ち寄る。工房とオフィスが合わさったような空間で、入り口ではこちらのお店で作られたとおぼしきノートが販売されていた。こんなノート、もったいなくてなかなか書き込みなんてできないんじゃないだろうか。


薄いピンクの壁に深緑の看板が映える。


小さな立て看板もとっても洒落ている。

というわけで1泊2日のヘイオンワイ旅行はこれで終わり。ヘイ城のあの風景を見られなかったのはやっぱり残念だったけれど、それを補って余りある素敵な素敵な時間を過ごすことができた。今回は本屋1軒1軒の空気を味わったから、次来たときには、本1冊1冊との対話を楽しんでみたいな。