2013-06-07

蛇行する川のほとりで―― ヘイオンワイ 4




アイスの甘さで立ち直りつつあったものの、既に書店は閉店を迎える時間。ということで、書店めぐりは翌日に持ち越すことにして、ワイ川の辺りを散歩。


川沿いにはこんな気持ちの良いフットパスが続いている。

この街の素晴らしいのは、古本屋だけでなく、大自然も気軽に楽しめるところ。歩いて数分で、こんな景色と出合える。ワイ川の水は非常に澄んでいて、水底もくっきり見えるほど。カモの親子がぷかぷかしているかと思えば、下流では家族でカヌーを楽しんでいたりする。フットパスをゆっくり歩いていると、さっきまでヘイ城の本棚でショックを受けたことも、バカらしく感じてきた。


恩田陸の小説じゃないけれど、蛇行する川のほとり、という感じ。

そして散歩を楽しんだ後は夕食。せっかくなので、宿に併設されたパブで。手ぶらで行って、好きなだけ食べて飲んだ後は上の部屋に行くだけっていうのは、実に気楽でいい。その日のスペシャルの鴨が売り切れとのことで、スカンピ・アンド・チップスを。自家製タルタル・ソースが美味だった。


食後は、時間がいっぱいあるから読書でも、と思っていたのだけれど、疲れていたのかあっという間に夢の世界へ…。

(続く)




2013-06-06

衝撃の光景――ヘイオンワイ 3



続いて訪れたのは、外観からして怪しげな「MURDER AND MAYHEM」。その名の通り、犯罪小説やホラー小説を専門としているお店。店内のあちらこちらに茶目っ気たっぷりの遊びがあって、内装を見ているだけで楽しい。

ライオン・キングのような外壁に…



看板のレトロ感がたまらない。


悪趣味一歩手前のイギリス的ユーモア。


至るところにこんな遊び心がいっぱい。

「MURDER AND MAYHEM」の向かいに位置する「ADDYMAN BOOKS」。


すっきりした外観だけど…


店内は濃い青色の壁に金色の縁取りが強烈なインパクトを醸し出す。ペンギンの本や画集、写真集などがぎっしり。



やっぱりイギリス人らしいユニークな張り紙。

ここのすごいのは2階で、小さな部屋や廊下、とにかくあらゆるスペースに本が所狭しと並んで(転がって?)いる。



もはや売り物の体裁すらなしていないのが逆に魅力的。

そして次は、日の高いうちに行っておかねばならないヘイ城の古本屋。あの風景を青空の下で眺めなければ。いよいよあの風景とのご対面が近づく。ドキドキしながら城の入り口となっている小さな木の扉をくぐってみると…。


な、ない! お城はあるけど、本棚がない!!


向かい側の壁沿いには本棚。でも以前テレビやインターネットで見たときと違って屋根もある。やはり何かがおかしい。あまりのショックにお城をぐるりと回ってたものの、やはり、ない。


「HONESTY BOOKSHOP」という看板は昔のままなのに…。

友人にあきれられつつ、しばらくの間ショックを引きずり続ける私。お城の向かいの「HAY~ON~WYE BOOKSELLERS」を覗きつつ…


まだ心ここにあらず。これではせっかくのヘイオンワイを楽しめない、気持ちを入れ替えねば! と思って気分転換に選んだのが、これ。


「Shepherds」という、羊のミルクでできたアイスクリームのお店のアイス2種。エルダーフラワー・シャーベットとコーヒー・アイスの甘さで復活した私は、再びこの場所を心から楽しむため、街に繰り出したのだった。

(続く)



2013-06-05

いよいよ古本の街へ――ヘイオンワイ 2



バス停のすぐ近くにあるインフォメーション・センターで地図を手に入れて、まずは宿へ。ちらほら見える古本屋にワクワクしつつ歩いていたら、すぐに見つかった。今回泊まったKilvirtsは、パブと宿が一体になっていて、パブは既にビールを飲んでくつろいでいる人たちでいっぱい。


歩くと床がぎしぎしいう建物は、古いけれどしっかり磨きこまれていて、いい感じに年を重ねている。私たちの部屋は黒光りする柱が三角形に重なる様が美しい、屋根裏部屋。バスタブがなかったのが少し残念だったけれど、ソファや長椅子、チェストなどの調度品も建物にぴったりの年代もので、胸が躍る。

長旅で疲れていたのと、とにかく喉が渇いていたのとで、何はともあれパブで一杯。3種のビールをちょっとずつ楽しめるセットで乾杯! ほんのりレモン味の清涼感あふれるエールがとっても美味しい。


一息ついたところで、散策スタート。このころには澄み切った青空が広がっていて、絶好の散歩日和になっていた。今回は街や古本屋の雰囲気を味わいたいというのが目的で特に下調べをしてこなかったので、適当に歩いて見つけたお店に入ることにしたのだけれど、まず入ったのがここ。


この子供向けの本や絵本の専門店「Rose’s BOOKS」は、以前この街を訪れた人たちのブログなどで見て、ぜひ来てみたいと思っていたところ。小さな店内には、不思議の国のアリスなどおなじみの絵本から時代を感じさせる希少本まで、様々な本がずらり。希少本は、ガラス・ケースに丁寧に陳列されている。


地下にはRupertというクマの絵本のシリーズが。年代をさかのぼるほど、ルパートの顔が人間くさくなってきて、ちょっと不気味。


そして街の目印的な存在の時計台を眺めつつ、次に向かったのは…。


 この古本の街をつくり出したリチャード・ブースさんのお店。戦後、衰退の一途をたどっていたこのヘイオンワイが現在のような古本の街として知られるようになったのは、リチャードさんが1960年代に映画館や消防署だった場所を買い取って古本屋にしたのがきっかけ。自らを「キング」と名乗り、イギリスからの独立を宣言するなど、かなり個性的な人物らしい。そんな彼のお店は、タイル貼りの柱がかわいらしい外観。 




入り口前の地面には「Richard Booth World’s Largest Secondhand Bookshop」なんていう言葉も記されていたりして、なかなかのPR上手。

中は奥行きがあって、外からは想像できないくらいの広さ。一歩足を踏み入れた途端、友人と「本のディズニーランドみたい」とつぶやいてしまった。希少本を探しに来るコレクター向けというより、本好きの一般人が楽しみながら自分の求める本を探している雰囲気。かなりの年代を感じさせつつも清潔感溢れる店内には、いたるところにソファやベンチがあって、皆あちらこちらで座り込みながらじっくり本を選んでいる。




本の分野を示すボードにもちょっとした工夫が見られて楽しい。


ガラス張りの天井から日が差し込む2階。自分の好きな文学作家の本を並べて見比べる若い女性や、古い楽譜を丹念に調べる初老の男性など、お客さんの幅は本当に広い。


 2人とも、2軒目にして既にテンションは最高潮になってしまった。


(続く)






2013-06-04

憧れの風景――ヘイオンワイ (Hay-on-Wye) 1



ずっと心に残っていた風景があった。青空の下、古城を背に古い本が詰まった本棚が静かに佇む、そんな景色。日本にいたとき、テレビで観たその姿はとても印象的で、いつか自分の目で見てみたい、そう思っていた。

ウェールズにある古本の街、ヘイオンワイ(Hay-on-Wye)。イギリスに住むようになって、日本にいるときよりも距離的には近くなっていたけれど、それゆえに「いつか行ける」と思い、なかなか実際に行動に移せなかった。そして今回、3連休を利用して、ついにこの古本の街に行くことができた。

計画性のない私。今回も2、3日前に列車やホテルをバタバタと予約。ロンドンからヘレフォード(Hareford)まで列車で3時間半程度(乗り換え1回)、そこからバスで約1時間。少なくともこの時期、列車は直行がなくて、時刻表をにらみつつ、パズルをはめ込むみたいにプランを練った。

そして当日、ロンドンはパディントン駅。友人と朝7時30分に待ち合わせ。パンとコーヒーを買って(私は列車で食べる朝食が好きだ)、列車に乗り込む。


8時ごろ、First Great Westernの列車でまずはWorcester Shrub Hillまで約2時間半の行程。そしてLondon Midlandの列車に乗り換えて12時少し前にヘレフォードに到着した。車窓からは、時折晴れ間がのぞく曇り空。辺り一面に咲く菜の花の黄色がとても春らしい。一つ些細だけど残念だったのが、First Great Westernの座席が狭かったのと、飲み物置きがなかったこと。いつもはVirginに乗ることが多いのだけれど、かなりの不便さを感じた。


 そしてヘレフォードからバスが出るのは、約1時間後。待ち時間は昼食を食べることに。駅まわりは何となく閑散としていて、大きなスーパーとケンタッキー・フライドチキン、古びた中華レストランくらいしか見当たらない。結局、イメージしていたのとはかなり違うな、などと思いつつ、ケンタッキーで地元の若者に紛れてチキンをほおばる。

バス停は少し奥まっていて分かりずらかったけど、ケンタッキーのすぐそばにあった。これまた閑散としていて、本当にバスが来るのか、ちょっと不安になるほど。でもきちんと時間通りにやって来て、無事、最終行程のバスの旅に。

バスは普通の乗合バスで、細いでこぼこ道をものすごいスピードで走っていく。途中、馬フン(牛か羊かも?)のすさまじい匂いが鼻を刺す中、約1時間、飛ばしっぱなし。

そしてようやく、ヘイオンワイに到着。バスを降りた瞬間、360度広がる大自然と目の前のかわいらしい石造りの建物に一気に気分は高まる。ブレコン・ビーコンズ国立公園の中に位置していると聞いていたけれど、本当に自然の真ん中にぽつんと小さな街が浮かんでいる感じだ。



(続く)

何度目かの誓い

毎年、年初めになるとブログを書こうと思い立ち、数回で挫折する……。そんなことを繰り返してきたわけだけれど、ここで改めて(何度目かの)決意。舞台観劇レビューを中心に、ロンドンの日常生活をこのブログに記していこうと思う。あくまで気張らずに、続けていくことを目標に。

(これまで書いてきた記事は、後で加筆修正する可能性あり)

2012-01-22

The Table

Soho Theatre
1月12日(木)19:30

思えば私は、昔から妙に人形劇が好きな子供だった。物心ついて初めて観たのは、小学生のころに観た、チェコからやって来たぎょろ目の人形たちのちょっと不気味な作品(今、チェックしたらイジー・トルンカのマリオネット劇、だったらしい)。それ以降、かわいらしいパペット、と言うよりは、大人な雰囲気の漂う人形劇を好んでよく観ていたように思う(ちなみにWar Horseももれなく好き。これは子供も楽しめるけれど、子供向けじゃないと声を大にして言いたい)。

で、「The Table」。ロンドン・インターナショナル・マイム・フェスティバルをチェックしていたら、いやにぶさいくなモアイ像チックな人形の画像が目に付いた。内容を見てみると、ちっちゃなモーゼがテーブルの上で自らの人生の最後の12時間を語る、とある。…わけが分からない。けれど昨年のエディンバラ・フリンジではファースト・プライズを取ったとあるし、きっと面白いに違いない。ということで、その日のうちにチケットをゲット。ちなみにその後、その日のチケットはすぐにソールド・アウトになったので、チケット運の良さはまだ継続中のよう。劇場ではドラマ・スクールの学生と先生が集団で押し寄せていたせいか、若者の街、渋谷についうっかり入り込んでしまったかのような、独特の熱気に溢れた中での観劇となった。

本作品は3つのパートに分かれていて、最初がモアイ像ことリトル・モーゼ君。簡易テーブルが置かれただけの超シンプルな舞台に、黒づくめの3人の男性が登場。彼らがモーゼ君を操るわけだが、うち一人は頭を操ると同時にモーゼ君のセリフも担当。「これはブンラク(文楽)形式なんだぜ!」と彼が何度も自慢げに言うように、3人は特に存在を消すわけでもなく、それどころかモーゼ君は3人のうち一人にからんだりする(手を操る男性は自分で自分に突っ込んでいるわけだ)。

構成はいたって単純。モーゼ君が自らの人生の最後の12時間を語ろうとするものの、観客をいじったり、パペットの持つ潜在能力を見せつけたり、突然の第三者が登場したりと色々邪魔が入る。要はメイン・テーマはモーゼの人生なんかじゃなく、モーゼ君のインプロビゼーション&スタンダップ・ショー。「パペットってこんなこともできちゃうんだぜ」と、吹きすさぶ嵐の中歩いたり、フランスでバゲットを買ったり、ランニング・マシーンで走るモーゼ君。マイムのネタとしては真新しくもないが、段ボールの頭にカーテンの布でできたメタボ腹、妙にひょろ長い手足のモーゼ君がやると、異常にキュートに見えてしまう。「テーブルの上が自分の人生のすべて」と言いながら、意気揚々とその人生の素晴らしさを語る一方、後半、突如テーブル上の自分の世界を浸食し出す女性に怒りつつも必死に語りかけ、触れて、一人きりのテーブル上での人生に孤独を感じるガラスのハートを垣間見せる。愛おしさを感じずにはいられないキャラなのだ。モーゼ君が「この舞台のことを後で他人に説明するのは難しいだろうな。芝居の間じゅう、テーブルの上で一体のパペットがしゃべってたとでも言うのかい?」ってしゃべってましたが、確かに難しい(笑)。

次のパートは、音楽に合わせて、3つの額縁の間を行き来する、浮遊するゴム製(?)のマスクと手のパフォーマンス。これは綺麗ではあったけれど、特筆すべき点はなし。最後のパートは、「紙芝居」。さきほどの3人の男性+女性1人の計4人が、黒服に身を包み、タバコをくわえながら、アタッシュケースに入った無数のイラストを次々と出しては、無声紙芝居を展開する。これもアイデア的には斬新ではないものの、上下左右の空間を上手く利用して物語の世界を広げていく手法や、パフォーマーの表情をも芝居の一部としてしまうお茶目ぶりが、なかなか魅力的だった。

総合的に見ると、やっぱりリトル・モーゼ君のキャラが際立っていた最初のパートが圧倒的に面白かった。ちなみに今回、すべてのパフォーマンスを担当したブラインド・サミット・シアター(Blind Summit Theatre)は、サイモン・マクバーニーの「春琴」でも人形操作を担当。オペラでも活躍する注目株らしい。モーゼ君はもちろん、彼らの洒脱なパフォーマンスが全体的に光っていた作品だった。

2012-01-11

Richard Ⅱ

Donmar Warehouse
2012年1月4日(水)19:30

2010年の年明け、小劇場好きの心のオアシス、Donmar Warehouse。赤と黒で塗りつぶされたポスターが印象的で、ストーリーも出演者もろくろく知らずに観に行った「Red (レッド)」で、アメリカ人画家、マーク・ロスコの弟子、ケンを演じ、リスのようにつぶらな瞳が妙に印象的だった少年(後で知ったがこのとき、彼は既に20代後半。恐ろしき童顔)、エディ・レッドメイン(Eddie Redmayne)。同作品でウェスト・エンドからNYのブロードウェイへ進出、そしていまや映画界でも注目株になってしまった彼が、再びドンマーに戻ってきた。Redを演出した同劇場の芸術監督、マイケル・グランデージ(Michael Grandage)が芸術監督としては最後に手掛けた作品「Richard Ⅱ(リチャード2世)」。タイトルロールを演じるレッドメインを小さなハコで見たさに、多くのファンがチケット争奪戦に加わり、あっという間にソールド・アウト。特に彼のファンというわけではなかったし、リチャード2世というシェイクスピア作品にも思い入れのなかった(と言うより知らなかった)私は、当然のごとく出遅れたわけだが、年末に幻のチケットとも言われた「Jerusalem」をゲット、続いて「Noises Off」の最後の一枚(その日の)を手に入れた私は、「きっとエディも観ることができる」と妙な確信を持って、オンラインのサイトを日々チェックしていたところ、リターン・チケットをゲット。おまけにストール。演劇の神様、ありがとう。

開演20分前くらいに劇場に着くと、既に多くの人たちがバーでお酒を飲んでいる。この劇場は全体的にとってもこぶりなので、バーも小さく、飲まない人間の居場所がない。それでさっさと席につこうと思いきや、スタッフがまだ客席には入れないと言う。何でも15分前になるまで入れないということで、行き場を失った観客たちとともに所在なさげにウロウロしていたら、しばらくしてやっとオープン。入ってすぐに15分前設定に納得してしまった。ひんやりとした舞台上には、既にレッドメイン、もといリチャード2世が王座に着いて瞑想している。芝居が始まるまでの15分間、まんじりともせず、レッドメインは静かに静かに、王冠を頭に戴き、王笏を手に座している(確かにこれを30分続けることは不可能だ)。時代の年輪を刻んだ木の壁がシンプルながら印象的な、2階建ての舞台装置。ロウソクがいくつも灯されていて、冷たい空気とともに、その独特な匂いが、古い大聖堂にでも入り込んだかのような幻想を抱かせる。正直、芝居が始まる前からこの雰囲気に完全にのめり込んでしまった。

ごくごく簡単にストーリーをまとめると、神の化身である王の尊厳を何より尊ぶリチャード2世が、従兄弟のボリングブルックと貴族のトマス・モーブレーの諍いを裁定し、前者に6年間の追放を、後者に永久追放を命じる。ボリングブルックが不在中に、王の叔父にしてボリングブルックの父であるランカスター公の死去に伴い、リチャード2世がその財産を没収したことからボリングブルックが激怒。兵を率いてイングランドに帰国し、王に退位を迫る――といった感じで、筋だけ見れば、やはりさほど興味深い作品ではない。でも、とても面白かった。実はロンドンに来てからというもの、シェイクスピアの英語の難しさに辟易していた私は、本場にいるにもかかわらず、恥ずかしながらそれほどシェイクスピア作品を楽しめていなかったのだが、この作品はすっと心に入ってきて(たとえセリフで理解できない部分があっても)、ときに笑い、ときに悲しさを感じながら鑑賞できたのだ。

シェイクスピアに関しては全くの素人と言っていい人間があれこれ偉そうに述べるのも何だが、そうやって楽しめたその一番の理由は、役者陣の声と滑舌の良さ。まず、主役のレッドメインが、想像していたよりずっと朗々とした美しい声の持ち主だったのが嬉しい誤算。周りを固める役者たちも、ボリングブルック役のアンドリュー・バカン(Andrew Buchan)始め、誰もがシェイクスピアの言葉を自分のものにしていたように思う。

そして演出と舞台装置の美しさ。1幕の最後は、2階から両手をすっと差し出して、斜め上方を見上げるリチャード2世に白い光が当たって暗転。ここでは、レッドメインの顔がもともと骨ばっているのもあるが(爆)、精巧なデスマスクを見ているようで、神々しくも不吉な気配が漂う。芝居が始まる前の演出もさることながら、1幕目のリチャード2世は、とかく格式ばった立ち居振る舞いや言葉使いが多く、神の化身である王としての威厳をことあるごとに見せ付ける。だからこそ2幕目の、感情の発露を止めることのできない人間としてのリチャードの脆さ、切なさが心に響いてくるのである。各紙のレビューではレッドメインが美形すぎると批判(?)する意見もみられたが、私は個人的に、この華奢でチャーミングな俳優が、王という鎧でガチガチに身を固めた不完全な人物を演じたことは、この作品にとってプラスに働いたのではないか、というより、彼ありきの作品だったのではないかと思わずにはいられなかった。

ウェールズの海岸で、ボリングブルックの謀反を怒り、罵るシーン。目に涙を浮かべながら身の上を嘆き、弱気な言葉を吐いたかと思うと、次には居丈高な王の態度に戻り、そのまた次の瞬間にはどうしたら良いか分からず、右往左往する。昔、ケネス・ブラナーの「空騒ぎ」の映画に出演した某役者が、クローディオという役を「感情のローラーコースター」と表現していたが、そうした心の揺れ、弱さを、若きエディ・レッドメインは、全身で表現していたのではないだろうか。
舞台装置で白眉だったのは、ウェールズのフリント城でのシーン。城壁にリチャード2世とそのおつきたちが、その真下にボリングブルックら謀反人の一派が立って、会話を繰り広げる。城壁では温かい、黄みがかった照明が王たちを照らし、薄暗い階下では、真っ白で冷たい明かりがするどく謀反人たちを突き刺す――まるで宗教画やレンブラントの絵画を見ているような、美しい光景だった。
最後に一つだけ、どうでもいいことながら気になったことを。劇場が、本当に寒かった…。インターバルで、あの酒好きのイギリス人たちが軒並みワインじゃなくてホットコーヒーなんぞをすすっていたのだから、その寒さのほどが分かるというもの。ちなみに終演後は女子トイレに長い長い列が即座に出来上がっていた(笑)。

今年はワールド・シェイクスピア・フェスティバルが開催されて、イギリス中がシェイクスピアの舞台で溢れる年。そんな年を迎えたばかりのこのタイミングで、シェイクスピア作品の良さに今更ながら気づかされたのは、実に運が良かった。ぜひこれからも様々な演出、様々な役者を見比べてみたい。あとはエディ君、次はレミゼの映画でお坊ちゃまポンメルシーを演じることになったようだけれど、ぜひまた、舞台の世界に戻ってきてほしい。